富士登山日記
   9回目@ 2007年1月21日(日)〜7月29日(日)
    1日目:2007年1月21日(日) 甲州道中・日本橋→府中宿 2日目:2007年2月28日(水) 甲州道中・府中宿→高尾駅 3日目:2007年3月25日(日) 甲州道中・高尾駅→与瀬宿

★富士山道を辿る

江戸時代に爆発的に普及した富士講は、富士参拝のため自分の足だけで江戸から富士山まで歩いていた。

一昨年、海から登るために資料を集めていた際に、富士吉田市歴史民俗博物館の『富士山道しるべを歩く』という資料を入手し、読んでるうちに吉田口から登るのであればいっそのこと江戸・日本橋から歩いてみようと思い、今回に至った。連続して旅をするのは日程的にも体力的にも厳しいので、月に一度ぐらいのペースで進めれば登山シーズンに間に合うので、1月から動き始めた。


葛飾北斎・冨嶽三十六景より『江戸日本橋』



■第1ステージ 日本橋(4m)〜府中宿(55m) 30.13km 2007年1月21日(日) 


スタート地点・日本橋

★約140kmのスタート

6:30自宅を出発し、電車を使って7:42日本橋に到着、空は曇りだが雨の心配はなさそうだ。スタートの記念写真を撮り、道路元標から7:55、総距離140kmの長い旅のスタート(4m・1029hpa・5.8℃)。

甲州街道の道のりは南に向かい、皇居の南側を時計回りに回るようだが、その富士山道を書いた人は皇居を反時計回りに進んで半蔵門に向かったようである。まずは少し北上して三越デパート沿いに左折、昔の金座のあった場所である日本銀行の前を通り、信号を渡り右折すると左に常盤橋御門が見えてきた。橋を渡って西に向かって歩くと、8:15皇居の内堀に着いた。

辺りには多くの人々がジョギングしており、朝にもかかわらず賑わっている。その中を反時計回りに北の丸方面に向かい、8:50半蔵門に到着(3.7km地点・24m・1027hpa・5.6℃)。

ここから進路は甲州街道を西に向かい、9:09四谷駅の北側の四谷見附(5.1km地点・26m)から旧道を歩き、再び甲州街道に進路を戻して西へ。四谷4丁目交差点の所に四谷大木戸跡があり(6.5km地点・31m)、その右側の道に入って行き、最初の宿場町である新宿に到着(6.9km地点・34m・1026hpa・6.0℃)。新宿追分を左に折れて甲州街道に戻り、9:49新宿前を通過(7.6km地点・46m・1025hpa・6.0℃)。


常盤橋御門


平川門


新宿駅前

上に首都高が走るようになり、初台ランプ入口のそばに公園(10.3km地点・36m)があったので、10:23ここで10分ばかり休憩することに。この先は横にはビル、上には首都高で少し圧迫感のある感じを受けた。11:55出発して2時間たち、環七の大原交差点についた(12.2km地点・40m)。この辺りから日頃運動していなかったため、腿がだんだん張ってきたため屈伸運動など織り交ぜながら進んでいく。

11:35、2番目の宿場町の高井戸宿(下高井戸宿)に到着し(14.8km地点・42m・1024hpa・8.3℃)、この近くにある牛めし・松屋で昼食をとる。11:45出発して歩いていくと首都高が右に曲がっていく。昔ここには高井戸一里塚があったそうである(15.6km地点・44m)。ここでようやく半分進んだが、この辺りから次第に痛みがいつもの右ひざにまで広がり始め、体操の回数が増えていく。やった直後はしばらくは持つが、それもそんなには長続きせず、信号待ちの合間にストレッチを繰り返し、だましだまし進んでいった。

次第に空に雲の切れ間が出てきて天候も晴れ、12:11環八の高井戸交差点を越え(16.7km地点・45m)、旧甲州街道に入っていく。この辺りになってくると、建物が低くなり、商店街が多くなってきた。13:00再び甲州街道と合流(19.2km地点・45m)、40分ほど交通量の多いこの道を歩いていくと、また旧甲州街道に入っていく分岐に到達(22.0km地点・33m)。国領から北寄りに進路が変わり、14:00調布駅手前にある3番目の宿場町布田宿に到着し(23.3km地点・35m・1022hpa・11.4℃)、駅そばのドトールに入って休憩。


高井戸一里塚跡


上高井戸宿・旧甲州街道入り口


布田宿



★第1ステージ終了

14:17調布を出発して旧甲州街道を進み、中央道の手前の上石原の寺に新撰組の隊旗などがあるので見てみると近藤勇の座像があった。この辺りは近藤勇の生誕の地らしい。15:30旧・常久の所にある公園(27.9km地点・48m)で最後の休憩をして、15:38再び出発。

市街地に入って行き、16:08大国魂神社の鳥居前に到着(29.9km地点・55m)。4番目の宿場町である府中宿で、更に200m進み、16:12府中宿の中の番場宿である現・宮西町の府中市役所前交差点でこの日の行程は終了し(30.13km地点・55m・1020hpa・10.4℃)、16:20府中本町駅からJR武蔵野線に乗り、清瀬の自宅に帰宅した。

普段仕事で都内を車移動しているのでこの距離を歩けるか不安だったが、改めてこの日本橋〜府中の30kmという距離を実感することができた。途中にも出てきた近藤勇も、試衛館時代に出稽古で同じような道を歩いていったのかと思うと歴史を感じることができた。それに普段仕事でしか体を動かさないので、日頃の運動不足の解消になったと思う。右膝の痛みは一晩サポーターつけていたら翌朝にはずいぶん良くなり、支障なく仕事することができた。

日本橋からの所要時間:8時間17分
日本橋からの歩行距離:30.13km
日本橋からの移動速度:3.64km/h
日本橋からの累積標高(+):110m

日本橋からの累積標高(-):59m


府中宿・大国魂神社前


府中宿・番場宿






■第2ステージ 府中宿(55m)〜高尾駅(168m) 20.65km 2007年2月28日(日) 

★武蔵多満川

忙しかった夜勤の現場も終えて、一段落着いたところで行こうと思ってたので、2月28日に休み取れたので行ってきた。今年は暖冬で花粉の飛ぶのが例年よりも早く、薬とマスクを使用して7:00家を出発した。車でJR武蔵野線・新秋津駅へ送ってもらい、、7:14発の電車に乗り込み、7:30府中本町駅に到着(電車代210円)。駅から前回終了した府中宿(番場宿)だった府中市役所前交差点まで歩き、7:40第2ステージスタートした(55m・1010hpa・10.5℃)。

旧甲州街道を20分歩いて行くと、8:00本宿交差点で甲州街道と合流した。甲州街道の歩道は狭く、自転車が来ると体をねじって避けなければいけなかった。中央高速・国立IC入口交差点で歩道橋を渡り、途中に常夜燈や地蔵などの石造物を見ながら西へ進んでいく。日野橋付近まで来ると、中学時代に陸上部の大会や記録会でよく来ていた競技場が見えて懐かしく感じた。9:15この先にあるマクドナルドで休憩することにした(6.03km地点・74m・1009hpa・12.8℃)。


歌川広重・冨士三十六景『武蔵多満川』


現在の『武蔵多満川』・日野の渡り


歌川広重・不二三十六景より『武蔵多満川』


日野宿本陣

9:45マクドナルドを出発して、広くなった歩道を柴崎方面に向かって歩いていく。錦町下水処理場前交差点の所で旧甲州街道が甲州街道を横切ってるので、ここまでの道とは別に旧道がある事に気がついた。左折して旧甲州街道に入っていくと、すぐ左手に日野の渡し場の石碑があり、その分岐を右折、次を左折して土手の階段を登ぼると多摩川に到着した。当然のことながら、現在では日野の渡しは無いので、すぐ右手にある立日橋で多摩川を越えていった(6.85km地点・76m)。

この旅の中で、今まで建物などが邪魔をして富士山を眺望することができなかったので、立日橋まで来れば見えるかと思ったが、あいにく雲に隠れて見ることはできなかった。雲が無ければ広重も見ていた富士山が見れていたかも。

南下をして再び甲州街道にぶつかって右折をして、5番目の宿場町である日野宿に10:20到着(8.25km地点・73m・1008hpa・17.3℃)。この日野宿には本陣があり、中は資料館になっていた。この日野は新撰組の故郷としてもとても有名である。

日野宿本陣を出発して日野駅のほうに向かい、途中右斜めの旧道に入ってすぐのT字路を左折をして甲州街道を横断する。この先の旧甲州街道はJR中央線が横切っていて通れないのだが、今回は時間に余裕があるのでその手前にある坂下地蔵に立ち寄り(8.88km地点・84m)、来た道を少し引き返す。日野駅に下をくぐり、大坂を登って旧甲州街道を進む。大坂を登り、10:52再び甲州街道と合流したのだが、少し右ひざに違和感が出てきたので、少し早いと思ったがサポーターを装着した。

長い日野自動車の工場敷地の終わりに立て札があり、それには日野台一里塚跡と書かれていた(10.90km地点・109m)。道路の反対側から見ても通り沿いには一里塚は見当たらなく、後で調べた結果日野自動車の敷地内にあるということらしい。この辺りは車の往来が多いが、歩道も広いので快適に歩くことができた。

11:44国道16号バイパスを過ぎ、大和田の間宿に入っていく旧道に入って行く。ここには富士見橋という所があり、雲が無ければ富士山が見えていたのだあろうか。旧道を出ると大和田橋に出た(13.71km地点・104m)。この大和田橋には第2次大戦時にB29の爆撃の傷跡が残されていた。橋の下にも爆撃のえぐれた跡が見受けられた。

大和田橋を渡ってすぐの信号を右折して、中学校の先を左斜めに入っていくと、12:03永福神社の境内に八王子一里塚跡の石碑があった。この先のT字路を左折し、甲州街道に出て西に進路をとって12:16、6番目の宿場町八王子宿(横山宿)に到着した(14.98km地点・111m・1002hpa・18.6℃)。この八王子宿は7つの宿からなっていて、その長さは2.5kmほどあり、その中でも現在でも賑わっている横山町八日町の辺りは、昔も宿場町の中心として栄えていたそうである。


坂下地蔵


大和田橋から爆撃の跡を見る


八王子宿



★第2ステージ終了

追分町
の交差点を左に曲がって甲州街道を進み、13:02JR西八王子駅付近を過ぎたところでラーメン屋で昼食をとった。13:15再び出発して、並木町にさしかかった時、1本北側の道に高尾山道の文字が書いてあり、もしかしたら旧道はこっちではないのかと思い入ってく(17.93km地点・139m)。

13:55多摩陵入口交差点を過ぎた所に、旧甲州道中と書かれていたので右斜めに入る(19.63km地点・156m)。14:06甲州街道に戻り、14:13JR高尾駅前に到着し、この日の行程を終了した(20.65km地点・168m・996hpa・19.1℃)。14:20発の電車に乗り、15:40自宅に帰宅。

前回のビルに囲まれた道中と違い、空が広く、古い民家も多く建ち並んでいたので、気分的にそんなに長くは感じられないで歩けた。2回の平坦ステージも終わり、次回は小仏峠越えの山岳ステージに突入。今度は花粉の収まった時に実行したい。


旧甲州道中


高尾駅前
第2ステージの所要時間:6時間33分
第2ステージの歩行距離:20.65km
第2ステージの移動速度:3.15km/h
第2ステージの累積標高(+):156m

第2ステージの累積標高(-):43m

日本橋からの所要時間:14時間50分
日本橋からの歩行距離:50.78km
日本橋からの移動速度:3.42km/h

日本橋からの累積標高(+):266m
日本橋からの累積標高(-):102m






■第3ステージ 高尾駅(168m)〜小仏峠(348m)〜与瀬宿(198m)
12.04km 2007年3月25日(日) 

★雨の進軍

今回のステージは文字通りの前半戦の山場、小仏峠越えに突入。この日はりょうわ君と2人で登ることになった。前日からの天気予報で一時は延期も考えたが、当日のe-天気を見て昼からの天候なら行けると思い、りょうわ君と協議して昼スタートとした。

10:30自宅を出発した。この時には雨は小降りになっており、秋津駅で乗換えた時にはすっかり上がっていた。11:42にJR高尾駅に到着し、りょうわ君からの連絡だと12:22に到着予定とメールが来たので、しばらく待っていると電光掲示板に12:08三鷹駅で人身事故発生との一報。まさか巻き込まれたんじゃないかと思ったが、遅れることなく予定通りにりょうわ君と合流できた。スタート地点にあるコンビニで買い物をして、12:30高尾駅前を出発した(168m・978hpa・17.7℃)。

出発すると同時に空から雨がポツリポツリと落ち始め、川原宿のあたりで雨脚が強くなってきたので、中央本線のガード下で合羽を羽織った。浅川交差点を右に入って行き、旧甲州街道を進んでいく。少し傾斜が増して、12:50小仏関跡に到着、ここには7番目の宿でもある駒木野宿でもある(1.50km地点・197m・975hpa・17.3℃)。


JR高尾駅・改札前


小仏関跡


水汲み場

この先の念珠坂を越えると地蔵などがあり、もう少し進むと左手に小川が見えてきた。天気が良く桜の咲く日には通ってみたい道である。しばらく歩くと水汲み場があり、のどを潤すことができるようだ。この水汲み場の横になにやら大きな木造の建物があり、締め切られている板戸の上には多くの富士講の名が書かれた板がついていた。この建物の先には富士講の石碑もあったので、なにやら富士講に関連する建物なのか?

摺指のバス停の前に豆腐屋があり、甲州街道の案内サイトでおからドーナツがお勧めと言う事なので購入してみた。途中、雨も上がったので合羽を脱いでバックにしまう。趣のある煉瓦のガードの下をくぐり中央本線の右側に移動し、この先にある集落が東京最後で8番目の宿場の小仏宿で、バスもここで終点になっていた(4.63km地点・273m)。

ここで中央本線はトンネルの中に入り、しばらくお別れ。左手に寺が見え、ここには都の天然記念物のカゴノキがある。傾斜の急なヘアピンカーブを2つ曲がり250mほど進むと舗装路は途切れて、14:10いよいよ小仏峠に突入(5.96km地点・365m・954hpa・15.0℃)。


富士講碑


小川と野に咲く桜


中央本線のレンガのガードをくぐる



★小仏峠越え

小仏峠は傾斜があり砂利道なので、雨が降ったあとだと少し登りにくいが、登山道口までに200mほど登っているので気分的には楽である。14:53小仏峠頂上に到着(7.01km地点・548m・935hpa・15.0℃)。ここで一番印象を受けたのは、曇っているが遠くに八王子の町が見えて、その上に雲(霧?)が広がり、さらにその上に新宿の高層ビル群がうっすらと見えたことで、『ここまで歩いてきたんだなぁ』としみじみ思い、山頂で記念撮影。営業していない茶屋の間を通って、ついに東京都と別れを告げて、神奈川県に突入。

下りは土の歩道で、滑らないように気をつけて下っていき、中央自動車道が再び見えてきた。見えてくると未舗装の道は終わり、案内板に従い舗装路を歩いていく。中央自動車道の橋脚の下に石碑と説明版があり、本来の甲州街道はこの場所から登って中央自動車道の下を進み、樋谷路沢を渡って小原宿本陣の脇に出るそうだが、現在は通行止めになっており、道なりに底沢バス停のほうに向かいました。


小仏峠を登る

15:45底沢で国道20号と合流したが、車がすごいスピードで走っているので、横断歩道を気をつけて渡り、反対側にある歩道を歩いていった。底沢から500mほど進m・975hpa・16.4℃)。本陣のほかに旅籠のような古い民家が建ち並び、なかむと15:55、9番目の宿場町小原宿に到着(10.50km地点・203なかいい雰囲気を出している。

16:07相模湖東ICの橋の下を過ぎて、すぐの所に右に入って坂を登る道があり、これが旧甲州街道の道筋のようなので入って行く(10.94km地点・206m)。結構坂がきつく、5分後ようやく登りきった(11.22km地点・233m)。道は幅も広く、交通量も少ないので気分良く下っていくと、右手の階段を下る案内板があるのでここを下り、桂北小学校の前で再び甲州街道と合流。16:25目的地の10番目の宿場町与瀬宿に到着した(12.04km地点・198m・975hpa・17.7℃)。


小仏峠頂上


小原宿・本陣


★第3ステージ終了

相模湖駅前
はシーズン外なのか、日曜にもかかわらず閑散としていた。20分間ホームで電車を待ち、16:53中央本線に乗り、4時間かけて歩いた道をたった9分で高尾駅に到着した。ここでりょうわ君は特別快速に、自分は快速に乗るため解散して帰路に着いた。


相模湖駅前に到着

第3ステージの所要時間:3時間55分
第3ステージの歩行距離:12.04km
第3ステージの移動速度:3.07km/h
第3ステージの累積標高(+):595m

第3ステージの累積標高(-):565m

日本橋からの所要時間:18時間45分
日本橋からの歩行距離:62.82km
日本橋からの移動速度:3.35km/h
日本橋からの累積標高(+):861m

日本橋からの累積標高(-):667m





富士登山9回目A



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