富士講の足跡を辿る・日本橋からの富士山道

    甲州道中@ 日本橋〜布田宿

◆日本国道路元標・日本橋(4m)〜内藤新宿(34m) 7.63km
ルートMAP

日本の道路の基点である日本橋(4m)は、1604年に徳川家康が五街道(東海道中仙道甲州道中奥州道中日光道中)の基点として架けたものでした。当時の橋は丸太が二本架けられただけの物で、『二本橋→日本橋』と駄洒落みたいな語源だそうです。現在、橋の中央には日本国道路元標が埋められていて、ここから甲州道中が始まります。

日本橋をスタートして南に向かい、日本橋交差点を右折して200mほど歩くと呉服橋交差点に着きます。現在は橋はありませんがその昔ここに堀があって呉服橋が架かっていて、甲州道中はこの橋を渡っていきました。


五街道の起点・日本橋


日本橋


歌川広重・名所江戸百景『日本橋雪晴』


日本国道路元標


日本橋魚河岸跡

呉服橋を渡った先で資料によって3つの道筋が出てきます。1つは呉服橋交差点を直進してガードをくぐり、大手町交差点を左折して和田倉橋の前に出ます。こちらは道三堀という堀沿いに進む道(赤)で、古地図を見ると緩やかに左カーブしていて、現在のビル群の中を通っていることが分かります。


日本橋交差点


呉服橋交差点


大手町交差点

もう1つは呉服橋交差点を左折、八重洲北口から東京駅構内に入り、北自由通路を通り東京駅を横断して丸の内北口から出ます。丸の内を通って和田倉橋に向かうルート(緑)です。

最後の1つは江戸初期の甲州道中で、呉服橋を渡らずに右折して北に進路を取り、神田・飯田町から外堀沿い、または神保小路から市ヶ谷見附を経て外堀を歩くルートもあった様です。


八重洲北口


北自由通路


丸の内北口


ロータリー北側から丸の内ビル群の中を進む


和田倉橋


和田倉門交差点から見た東京駅

和田倉橋前から堀沿いに日比谷通りを南下すると、1934年(昭和9年)に竣工された国指定重要文化財の明治生命館があります。

さらに南下すると、1930年(昭和5年)に初めて日本に信号機が設置された日比谷交差点があり、信号を渡って日比谷公園に入ります。有楽門から入ってすぐの所に日比谷見附(7m・2.43km地点)があった石垣が残っています。


国指定重要文化財・明治生命館


初めて信号機が設置された日比谷交差点


日比谷見附跡

公園の中を進むとお洒落な洋館の旧日比谷公園事務所があります。1910年(明治43年)に竣工されたこの建物は、東京都指定有形文化財に指定されています。さらに進むと三笠山の麓に1903年(明治36年)の開設当時からある水飲み場があり、馬も飲めるデザインになっています。右に曲がり祝田門に向かうと、手前にこちらも設立当初からあるアークライト灯があります。


東京都指定有形文化財・旧日比谷公園事務所


設立当初からある水飲み場


同じく設立当初からあるアークライト灯


歌川広重・名所江戸百景『山下町日比谷外さくら田』


法務省・旧本館と警視庁


桜田門

祝田橋交差点を渡ると、左手に赤レンガが見事な国重要文化財の法務省・旧本館があります。

その先には桜田門があって幕末に大老・井伊直弼がこの場所で暗殺されたところでもあります。左には警視庁・総務省・外務省などと主要機関があります。

国会前交差点を渡り、国会議事堂の右手前の公園には日本水準原点があります。日本の全ての標高はここが基準となり、1891年(明治24年)の竣工以来、関東大震災・東日本大震災の地殻変動で2度の改正をし、24.3900mと改定しました。

内堀通りを進むと、首都高沿いに江戸の名水として知られた櫻の井があります。ここには加藤清正邸があり、幕末江戸城に訪れる通行人に振舞われたと伝えられています。


国会議事堂


日本水準原点標庫


櫻の井

三宅坂がこの道中最初の登り坂になり、坂の途中に堀のほうに下る石階段(立入禁止)があり、柳の井戸という江戸の名水を汲むことができました。三宅坂交差点を過ぎ、国立劇場の先のグランドアーク半蔵門というビルのところに、1里目である隼町一里塚(4.07km地点)があったそうです。


柳の井戸


1里目・隼町一里塚跡


半蔵門

甲州道中は半蔵門の前で左折をして、国道20号線を西に向かい麹町に入って行きます。江戸時代この辺りには大名の屋敷があり、その屋敷相手の商人たちで大変賑わっていた場所でした。

麹町を過ぎると四谷駅があるので、駅の手前を右折すると石垣があります。かつてここには四谷見附(29m・ 5.54km地点)があり、甲州道中の見張り場所でした。この石垣の前を左折して外堀を渡り、外堀通りを横断してそのまま直進して路地に入って行きます。


半蔵門交差点から国道20号線に入る


大名屋敷などがあった麹町


四谷見附跡

小学校の前を通り、ローソンのある交差点で左折をして、国道20号に戻って右折をして再び西に向かいます。この様な道がクランク状に曲がるのを枡形と言い、敵の進入を防ぐ役割をしていました。

四谷三丁目交差点を過ぎ、左手の丸正総本店には四谷怪談で有名なお岩水かけ観音が祀られています。ここは世話人により分祀建立されたものであり、由来の土地は交差点から南に200mほど行った裏手の於稲荷神社田宮神社だそうです。


ローソン前を左折


国道20号線に出たら右折


お岩水かけ観音

四谷4丁目交差点の所に四谷大木戸跡(32m・7.13km地点)があり、往来する人々を取り締まっていました。

甲州道中は右斜めの新宿通りに入って行き、新宿御苑の前を通って新宿に向かいます。この大木戸から今の新宿3丁目付近までが、甲州道中最初の宿場町である一次・内藤新宿(34m・7.63km地点)でした。

初期のころの最初の宿場町は高井戸でしたが、四里八丁(16.6km)もあるため元禄12年(1699年)この場所に宿場町を作り、人馬共々の負担を軽減していました。甲州道中は甲州道中四十四次ともいい、四十四次とは道中の間にある44ヶ所の宿場町のことを指しますが、実際に数えてみると宿場町は45ケ所あります。2ヶ所で1宿という所もありますが、四十四次というのはこの内藤新宿を含まないものなのかも知れません。


歌川広重・名所江戸百景『四ツ谷内藤新宿』


四谷大木戸跡


内藤新宿


◆内藤新宿(34m)〜高井戸宿<上高井戸宿>(45m) 9.64km
ルートMAP

内藤新宿を過ぎて、新宿通りを西に歩いていくと伊勢丹がある新宿3丁目交差点に到着します。ここはかつて新宿追分(36m・8.15km地点)と呼ばれて甲州道中と青梅街道の分かれ道でした。直進すると青梅街道で、甲州道中は左の明治通りに曲がっていきます。

曲がってすぐのところに2里目の追分一里塚跡があり、宝永7年(1710年)この塚跡に子育稲荷を造営したそうです。新宿4丁目交差点で国道20号と交差するので右折して跨線橋を登っていき、新宿駅前を通過していきます。


追分だんご


新宿追分・伊勢丹デパート前


新宿駅前

右手に高層ビル群を見ながら進んでいくと、上のほうを首都高速が走るようになります。初台交差点を過ぎると、左側に遊歩道の中に公園があり、ここでベンチやトイレがあるので休息することができます。

公園を過ぎて、遊歩道が分かれる辺りの建物の中に子育地蔵があります。また、幡ヶ谷駅をぎて中野通りの手前にも、ビルの間に挟まれている牛窪地蔵のお堂があります。

国道20号の右側に渡り、笹塚駅前に3里目の笹塚一里塚跡(37m・12.04km地点)があります。この塚に笹が生い茂っていたことから、この辺りを笹塚と呼ばれるようになったそうです。


子育て地蔵


牛窪地蔵


3里目・笹塚一里塚跡


玉川上水・代田橋跡

大原交差点を過ぎるとすぐに玉川上水(44m・12.87km地点)を渡ることになり、ここには代田橋が架かっていました。

明治大学の前を通り、30分ほど歩くと桜上水商店街があります。この先の宗源寺の辺りに本陣を構える二次・高井戸宿<下高井戸宿>(45m・15.62km地点)に到着します。

国道20号と首都高速が分かれる場所に、4里目の上北沢一里塚(16.12km地点)があり、環8と交わる下高井戸1丁目交差点付近に三次・高井戸宿<上高井戸宿>(45m・17.27km地点)の本陣があったそうです。下高井戸宿と上高井戸宿は、15日ごと交代で宿場町を運営していたそうです。


4里目・上北沢一里塚跡


高井戸宿・上高井戸宿跡


◆高井戸宿(45m)〜布田宿<上石原宿>(39m) 8.23km
ルートMAP

環8を越えるとすぐに、左前方へ行く道に入っていきます。右側歩いていると、給田3丁目あたりの家の前に新一里塚(19.25km地点)の標石が建っています。これは明治3年に、内藤新宿を基点とした新しい一里塚で、元々は芝生の塚の上に建てられていたそうです。

甲州道中は国道20号と合流して仙川駅前に出ます。駅前交差点の北側には5里目の仙川一里塚跡(47m・20.07km地点)の石碑があります。

キューピーの工場のある仙川2丁目の交差点を過ぎると、右斜めに入っていく道があります。これは瀧坂(45m・20.55km地点)と呼ばれて、雨が降ると滝のように流れていくことから付けられたそうです。この旧道の入口には川口屋という馬宿があって、今は石碑が残っています。坂を下りきると国道20号に再び合流します。


上高井戸・旧甲州道中入口


5里目・仙川一里塚跡


瀧坂入口・馬宿川口屋前

野川を渡って調布警察署の前を過ぎると、甲州道中は右にカーブしていく国道20号と分かれて直進するようになります。

国領駅
を過ぎて、この辺りから四次・布田五宿<国領宿>(33m・ 23.09km地点)が始まります。布田五宿は国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿の5宿からなっていて、6日おきに勤め分けしていました。 全長は約3kmあるにも関らず本陣・脇本陣は無く、9軒ほどの旅籠しかない宿場町としては小さなものだったそうです。

国領1丁目の駐車場の所に、天然理心流原田道場跡があり、新撰組の近藤勇が剣の道に入ったといわれてる所です。

布田駅を過ぎた辺りが五次・布田五宿<下布田宿>(23.69km地点)になります。調布駅前辺りが六次・布田五宿<上布田宿>(24.14km地点)で250mほどの町並みだったそうです。
上布田宿を過ぎるとすぐに6里目の小島一里塚跡(24.60km地点)の碑があります。この一里塚のすぐ先が七次・布田五宿<下石原宿>だったそうです。

西調布駅前辺りが八次・布田五宿<上石原宿>(39m・25.50km地点)で、西光寺の前には近藤勇座像があり、反対側には近藤勇が甲陽鎮撫隊を率い甲府城を目指す途中に、歓待を受けた名主中屋勘六宅があります。上石原は近藤勇が生まれた地であり、新撰組関連の史跡が多く残っています。


調布警察署前・旧甲州道中入口


布田五宿・下布田宿


6里目・小島一里塚跡


上石原宿・西光寺


2.布田宿〜八王子宿



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