富士講の足跡を辿る・日本橋からの富士山道

    甲州道中B 八王子宿〜与瀬宿

◆八王子宿(126m)〜駒木野宿(198m) 5.53km
ルートMAP

八王子市天然記念物の銀杏並木の中を歩いていくと突然、長房団地入口交差点で右折するとすぐに高尾山道標(48.63km地点)があり、この交差点を左折して国道20号に戻るような道筋となります。一見このようなクランク状の道筋は不自然な感じを受けますが、古地図で確認すると確かにクランク状に折れ曲がっており、これを枡形<ますがた>といい、ここに12里目散田村新地一里塚があったといわれています。

再び国道20号を歩いていくと、左側に八王子市横山事務所の前に大ツクバネガシが塚の上に立っています。色んなサイトではこれが12里目にあたる散田村新地一里塚(49.32km地点)ではないかと書かれています。しかし、教育委員会の説明板にはそんなことは一切かかれておりません。もしかしたら常久一里塚や本宿一里塚・万願寺一里塚と同じように、JR中央本線を挟んで南側にある旧甲州道中の散田町3〜4丁目周辺にあったのではないかと推測されます。一里塚の位置がすべて旧甲州道中上にあると考えれば歩いてきた距離のズレも納得いくものですし、よくよく考えれば一里塚が設置されたのは慶長9年(1604年)なのですから、そう考えるほうが普通だと思いました。


長房団地入口交差点から枡形に進む


高尾山道標のある枡形


12里目・散田村新地一里塚?

多摩御陵入口交差点の手前で、ようやく日本橋から50kmとなります。交差点を過ぎると、甲州道中は右斜めに入って行きます。道標が立っているので分かりやすいと思います。広い道ときれいな水路、目の前に山が近づいてきてようやく甲州道中を歩いているような感じになれます。甲州道中が終わりかける所で、町田街道に横切られて通れなくなります。旧道にこだわる人は、一旦左の町田街道入口交差点に出て横断し、また戻って30mほどの道を歩いてください。

町田街道から400mほど進むと、左手にJR高尾駅(51.35km地点)があります。この先バスは小仏まで出ていますが、1時間に1〜2本しか出ていませんし、駅は小仏峠を越えて12km先のJR相模湖駅までありません。プランを立てるときは、ここがひとつの区切りになると思います。


多摩御陵入口交差点先の甲州道中入口


高尾駅前交差点


高尾駅

両界橋を渡り中央本線のガードをくぐって、西浅川交差点で右折をしてしばらく国道20号とはお別れです。左手に駒木野病院が見え、この先辺りから十二次・駒木野宿が始まります。駒木野宿内には駒木野橋を渡ったすぐ右側に小仏関跡(198m・52.85km地点)があり、甲州道中でもっとも堅固と言われた関所で、「入り鉄砲・出女」は特に厳しく取り締まっていました。戦国時代は小仏峠に設置され「富士見関所」「富士関」とも呼ばれていました。明治2年(1869年)の太政官布告により全国の関所は廃止されました。この公園敷地内に駒木野宿の碑も建てられています。


西浅川交差点の甲州道中入口


小仏関跡の碑


駒木野宿跡


◆駒木野宿(198m)〜小仏宿(271m) 3.17km
ルートMAP

古地図によると駒木野宿の西側にに、13里目の駒木野一里塚があったそですが確認はできませんでした。坂を下ると左に石造物群があり、この坂が念珠坂ということが書かれています。火の見櫓が見えてくると左側に小川が流れ、桜の木があって満開の時期に歩くといい散歩道になりそうです。蛇滝口バス停の所に水汲み場があり、ここで水を汲むことができます。その隣にはえらく軒の長い古い建物があり、軒下には講中の札が架けられていました。ここは蛇滝茶屋(53.66km地点)と呼ばれ、蛇滝に水垢離修行に訪れる人の休憩所で、江戸後期には「ふじや新兵衛」という旅籠でした。建物の右側には富士講碑もありました。


念珠坂石造物群


蛇滝茶屋跡


蛇滝茶屋跡の富士講碑

右手に圏央道のジャンクションが見えて、いずれはこの道中の上にも橋が架けられてしまいそうです。ジャンクションを過ぎると蛇滝水行道場入口の看板があり、蛇滝にはここを左に入って行きます。再び川沿いを歩いていき浅川国際マス釣場を過ぎると、山を左に迂回するように歩いていきます。迂回すると中央本線の下の煉瓦のトンネル(55.47km地点)をくぐります。中央本線がトンネルに入って分かれる辺りが、十三次・小仏宿(271m・56.02km地点)で、このあたりに名主宅がありました。


おからドーナツを販売している峰尾豆腐店


中央本線の煉瓦のトンネル


小仏宿


◆小仏宿(271m)〜小原宿(203m) 5.71km
ルートMAP

小仏宿を出発すると小仏バス停が見えてきます。ここから5km先の底沢バス停まで路線バスもありません。坂道を登っていくと左側に宝珠寺があり、ここには都天然記念物のカゴノキがあります。青い路面のS字坂を登って、300mほど行くと舗装路が終わり、小仏峠登山口(57.35km地点)となります。

道は砂利道となり、右手の沢の所になにやら石碑の様な物が建っていますが、何が書かれているかはよく分かりませんでした。古地図だとこの周辺に14里目の小仏一里塚があったそうです。砂利道で急坂なので濡れていると少し滑りそうになります。500mほどで幅の広い林道は終わり、道幅の狭いつづら折りを登ると、斜面が緩やかになり小仏峠(548m・58.37km地点)に到着します。


宝珠寺のカゴノキ


小仏峠登山道口


14里目・小仏一里塚跡?

峠に到着すると、地蔵となぜか狸の焼き物が迎えてくれます。登ってきた東側を見ると新宿都心ビル群が遠くに見えて、これまでの長い道程を改めて実感することができます。反対の西側を見ると目標の富士山を望めます。峠には今はもう営業していないであろう茶屋があり、中を通って反対側に行きます。ここで長かった東京都と別れを告げて、神奈川県に突入します。


小仏峠から東京方面を望む


峠の茶屋


明治天皇小仏峠御休所跡及び野立所の碑

下りは尾根のところを歩いていきます。砂利や石がごろごろ転がっていて歩きにくいので気をつけて下っていくと鉄塔のある広場に出ます。ここを過ぎると中央自動車道が見え、未舗装区間が終わります(59.57km地点)。舗装路になった所を下ると、道は2つに分かれます。本来の道筋は正面の道を進みますが、現在は沢や中央本線を渡ることができないので、180度Uターンして美女谷のほうに向かいます。


小仏峠の下り坂


舗装路になって最初の分岐点をUターン


美女谷との分岐点

道の脇には石がたくさん転がっていて、ずいぶんと崩落しているようですので気をつけて歩いていきましょう。上空に中央自動車道が走り、その先にT字路があるので左折して沢を渡ります。また中央自動車道をくぐると、その橋脚の足元に石造物(60.61km地点)があります。そこには「甲州道中はここを登り中央自動車道の下を通り、樋谷路沢を渡って小原本陣脇に出ますが、今は通行不可能です」と書かれており、先ほどの本来の道筋の沢から中央自動車道の方に登っていたようです。そして位置的に見て、この失われた甲州道中上に15里目の(小原?)一里塚があったと推測します。

現在の甲州道中は道なりに進み、中央本線の下をくぐっていくと国道20号に出て、底沢バス停(61.22km地点)に着きます。車が凄い勢いで走っているので、横断歩道を気をつけて渡って反対側の歩道を歩いていきましょう。


橋脚下の石造物


中央本線のガードをくぐる


国道20号・底沢バス停物

小原の郷という施設が見えたらあと一息、「甲州街道小原宿 これより二町半」と道標が立っていて、その先のセブンイレブンの向かいに本陣があり、十四次・小原宿(203m・61.73km地点)に到着です。本来の甲州道中はこの本陣の手前にある道から出てくるようです。小原宿は昔の建物が建ち並び、今でも宿場町の雰囲気をかもし出しています。小原本陣は入館無料で見学できるので、立ち寄ってみるのもいいかと思います。


小原宿入口


本陣横の甲州道中の道筋(緑)


小原宿・本陣


◆小原宿(203m)〜与瀬宿(207m) 2.06km
ルートMAP

国道20号を進んでいくと、町外れに南無阿弥陀仏碑があり、その横に宿場町の終わりの道標が立っています。相模湖東ICの橋をくぐると旅館ひらのがあり、国道20号別れて右上に登って行きます(62.18km地点)。標高差35mの急坂を登ったら、少し平坦な道を蛇行して進んでいきます。T字路にぶつかったら左に進み、すぐに三叉路になります。分かれ道の間には石垣の上に家があり、その敷地内には石造物がありました。甲州道中はこの家の左側を進みます。


相模湖東IC先の甲州道中入口


中丸の分岐点@


中丸の分岐点A

少し坂を下ると、右側にえんどう坂(62.85km地点)という階段が見えるので降りていきます。道なりに進むと交差点に与瀬下宿(62.98km地点)という標識があり、ここから十五次・与瀬宿が始まります。

歩道橋のある桂北小の前で、国道20号と合流して右に曲がっていき、300m進むと相模湖駅前交差点に着きます。更に500mほど歩けば与瀬本陣跡(207m・63.79km地点)があり、ここで明治天皇も休んだという石碑が建っています。この先、吉野まで売店が無いので、足りないものがあれば向かいのセブンイレブンで買い物していくといいでしょう。


えんどう坂の階段


相模湖駅前


与瀬宿・本陣跡


4.与瀬宿〜上野原宿


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