◆与瀬宿(207m)〜吉野宿(175m) 3.27km |
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与瀬本陣の角から路地に入って坂を登ると、慈眼寺と与瀬神社の参道が目の前に現れます。与瀬神社に参拝するには50mほど登らないといけません。鳥居の前を通り、中央自動車道に平行に進むと目の前に石垣が立ちふさがっていますが、左に人が通れる歩道があるので曲がって階段を下りていきます。この角には与瀬上宿(64.16km地点)の標識があり、このあたりで与瀬宿が終わります。 |
与瀬神社前の石造物群 |
貝沢の分岐点 |
貝沢に下って行く |
貝沢橋 |
中央自動車道をくぐると、ヘアピンカーブの頂点の所にらーめん関所というラーメン屋があり、その裏手に貝沢という沢があります。甲州道中はこのラーメン関所の手前の道を入って砂利道を登っていくと、右にカーブする手前に左下に下っていく階段がありますので、降りて貝沢にかかっている橋(64.38km地点)を渡って対岸を登っていきます。
未舗装の道を進み、足元に土嚢袋が出てきたら、その先が右に折れて階段があります。登った所が16里目の与瀬一里塚跡(64.46km地点)となります。 |
16里目・与瀬一里塚跡 |
秋葉神社下の石碑群 |
奈良本集落(288m・65.71km地点)に、左にカーブしていく所にボディーショップファミリーオートという板金屋があり、その奥に左の道に入って行きます。ここから道は下り坂となり、中央自動車道の上を渡って更に下っていきます。すると観福寺の手前に大きく左にカーブしていきますが、甲州道中はその手前で未舗装の農道に入って行きます(66.23km地点)。 |
奈良本の分岐点 |
観福寺そばの分岐点 |
中央本線上の分岐点 |
農道に入ると下っていくと足元に中央本線が出てくる所の上に着くので、左に曲がっていくと先ほどの観福寺からの舗装路にぶつかりますので右に曲がります。250m先の分岐を左に進むと、相模湖IC出入口の上の橋にを歩き、急坂を下ると国道20号と再び合流します。 |
観福寺下の舗装路に合流 |
いたる所で様々な花が鮮やかに咲く |
相模湖IC上から見る相模湖 |
右折するとすぐにセブンイレブンがあり、その先に左に旅籠『ふじや』の建物を使用した藤野町郷土資料館、その向かいのボロボロの大きな土蔵があるところが十六次・吉野宿(175m・67.06km地点)の本陣跡になります。吉田宿の本陣は明治9年に完成した立派な五層楼が建っていましたが、明治29年12月29日の吉野大火が発生。強風に煽られ瞬く間に吉野宿を火の海と化し、家屋135戸・村役場・小学校・駐在所・病院などあらゆる物を焼き尽くし、唯一この本陣の前の土蔵だけが焼き残りました。 |
国道20号線に再び合流 |
吉田宿・藤野町郷土資料館 |
水没した勝瀬集落と丹田前の渡り |
与瀬宿〜吉野宿の区間には、もう一つ甲州街道が存在していました。与瀬宿本陣手前を左に折れて坂を下っていき、勝瀬の渡りで川を越えて勝瀬の集落に入って行きます。集落を過ぎると、現在の勝瀬橋の所にあった丹田前の渡りで川を渡り、S字に坂を登って吉田宿に入りました。この2つの渡りのことを二瀬越えの渡りと言いました。
昭和22年(1947年)上水道・工業用水道・水力発電などを目的とした相模ダムの建設によって水はせき止められて、4町6村の136戸392棟が湖の底へと水没し、今も静かに眠っています。
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◆吉野宿(175m)〜関野宿(217m) 2.69km |
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国道20号を西に進んで、吉野宿の終わりに沢井川が流れていて、吉野橋(67.43km地点)を渡るようになります。吉野橋は右側にしか歩道が無いので、あらかじめ右側を歩いていたほうがいいです。その橋の東詰の左手には石碑があり、本来はこの石碑の所で左に折れて坂を下り、小猿橋で沢井川渡って水道ポンプ場の所へ登る道筋でした。
吉野橋を渡り、変電所の先に国道20号と分かれて、右上に登る道に入って行きます(67.51km地点)。500mほどの旧道で、藤野中学校の前を通って国道20号に戻ります。合流地点の右上には廿三夜塔がひっそりとありました。合流して250mほど進むと右手に交番があり、その向かいには榎が立っています。ここが17里目藤野一里塚(68.26km地点)といわれている所です。藤野駅前交差点を通り、西に進んでいくと右手に中央本線が現れ、空の開けた登り坂となります。歩道には『東京から70km』の標識があり、その先に横断歩道(69.07km地点)があります。 |
小猿橋跡 |
水道ポンプ場先の甲州道中入口 |
17里目・藤野一里塚跡? |
あらゆる資料やサイトではこのまま国道20号を進むのですが、街道ウォーカーサイト『ユーミーの旅と旅行と』ではこの横断歩道を渡り、左下に下る細い道に入って行きます。下りきったところに人の通れる程度の橋があり、その先は石がごつごつとで出ている未舗装の道を歩いていきます。 |
東京から70kmポストの分岐 |
70kmポストの横断歩道を渡って下る |
未舗装路への歩道 |
右上に中央本線が走り、それに沿うように坂道を登っていくと、正面に跨線橋が架かっているので、中央本線を渡って真直ぐ国道20号に出ると関野宿本陣跡の前に出ます。こちらのルートは、結構角度のある坂を下ったり登ったりしますが、趣きがあって国道歩きよりいいと思います。 |
未舗装路終点の登り坂 |
中央本線に架かる跨線橋 |
関野宿跡 |
もう1つの直進ルートは、中央本線を超えて中央自動車道の真下を歩いていきます。歩道橋を渡って国道20号に降り、小川を越えると上記の道と合流して、十七次・関野宿(271m・69.75km地点)に到着です。本陣跡は関野消防会館の手前辺りにあり、東京側から歩いてくると説明版を見落としやすい場所にあります。この関野宿も吉野宿と同様、3度の大火によって宿場町の面影はまったくありません。
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◆関野宿(217m)〜上野原宿(262m) 3.86km |
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関野宿を出発して、増珠寺の先で左カーブをすると歩道橋があり、くぐると国道20号と分かれて右上への道(69.98km地点)に登ります。小渕小学校の前を通り、200m先にある2つ目の左斜めに降りる道(70.18km地点)を入って行きます。
三柱神社の前を通り、国道20号に合流したら右折します。国道20号は歩道が反対側にありますが、横断歩道はありません。右に大きくカーブした所に名倉入口交差点(70.66km地点)があり、ここでまた国道20号とはしばらく分かれて、左下に行く道に入って行きます。 |
小渕小学校下の分岐点 |
三柱神社への分岐点 |
名倉入口交差点の分岐点 |
坂を下ると境沢橋(71.86km地点)が架かっていて、相模国・神奈川県は終わり、いよいよ富士山のある甲斐国・山梨県に突入します。山梨県に入ってまず目の当りにするのは、標高差60mの登り坂です。昔の道筋は、名倉交差点の少し手前から左折をして坂を下り、川を渡って壁のような道を登っていたようです。 |
県境の境沢橋 |
境川 |
現在は通行不可の旧甲州街道の入口 |
現在のルートは境沢橋を渡って、正面の橋を渡らずにUターンして坂を登っていきます。3回登りながらヘアピンカーブを曲がると、右手には諏訪番所跡(71.60km地点)があり、甲斐国の重要な取締りをした関所後です。左手には上野原市の甲州道中案内図があります。 |
山梨県最初の難関 |
堤川橋手前をUターンするように登っていく |
諏訪番所跡 |
坂を登りきると、右手に自動車教習所が見えて、この先は道幅の広い平坦な丘の上を進んでいきます。600mほど進むと巨木のある諏訪神社(72.30km地点)に到着します。この神社の向かい宮本商店には、飲料水・タバコがそれぞれ100種類ほど、アイスが10種類もある自動販売機があり、ベンチもあって休憩するにはまさに天国のような所です。
中央自動車道の上を渡り、右側に疱瘡神社が見えてきます。この神社の裏手には18里目の塚場一里塚(72.86km地点)があります。一里塚と思われるところには、特徴である木は無く、竹林が伐採された跡がありました。 |
諏訪神社 |
塚場一里塚のある疱瘡神社 |
神社裏手の塚場一里塚 |
一里塚から400mほど進むと、新町交差点で再び国道20号と合流して、十八次・上野原宿に入って行きます。この交差点の北側には浅間神社があります。賑やかな商店街を進んでいくと、よく目にするのが酒まんじゅうの店がたくさんあります。
右側にルートイン上野原というビジネスホテルの場所が脇本陣跡で、その先の東電上野原営業センターの脇を10mほど入った所の建物が本陣跡(262m・73.61km地点)でした。 |
上野原宿入口の浅間神社 |
上野原宿 |
上野原宿・本陣跡 |
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