富士山表口・村山口登山道復活への道

    村山口登山道試登

■村山口登山道試登@

畠堀さんが1906年(明治39年)に廃道になった村山口登山道復活の動きを知ったのは10年ほど前、朝日新聞夕刊の『ふもとから歩いて登る魅力』を読み、村山口登山道に魅力を抱いていた。しかし現地の人々も高齢化が進み、せっかく復元された古道も再び草むらの中に埋もれてしまった。2002年暮れ、篠原 豊さんと富士山クラブで出会い、話してるうちに復活に挑戦することを決めた。


★2003年7月5日(土)

8:25篠原 豊さんと2人で村山浅間神社を出発。頼りにしたのは富士宮郷土資料館の『富士山村山登山道跡調査報告書』(1993年)だった。村山浅間神社横の自動車道を道しるべに従い進み、杉の植林帯に入っていくと間もなく馬頭観音に到着。この後、薮の密生を掻き分けて送電線の鉄塔を過ぎ、人工的な平地(発心門跡?)に出て、11:45札打ち場の大ケヤキに到着した。

地図と標識を頼りに踏み跡を探して何度も引き返し、やっとアスファルト林道にぶつかった。右に曲がり登るとすぐに天照教社に13:18到着した。ここで昼食を取り14:00再び出発。

天照教社の奥宮(?)を登る途中に木の下道があり、この窪地を進むと吉沢林道を横切る。この十字路の左側に大きな浄水施設があり、更に左には吊り橋があった。通りかかった初老の男性に聞くと、「この後ろをまっすぐ行って、右に2本の吊り橋があるから渡らずに、左の岩道を登ればいい」と教えてくれたのでその通りに進んだ。教えてもらわなければ分からない様な状態だったが、しばらくすると幅が広くなり、14:37富士山麓山の村の緑陰公園に到着した。

公園の右奥から涸れ沢に下る踏み跡があり、左岸に渡り左に曲がって、ロッジ風の建物を過ぎて土の林道に出ると『富士山村山登山道』の立て札があった。か細い踏み跡を進むと次第に薮と倒木が多くなり、苔むした溶岩流の露岩帯で踏み跡が分からなくなっていく。スズタケを押し分け進むと、日沢に下り立ち沢筋に進んだ。垂れ下がる笹を払いながら進むと、16:15大淵林道に出てこの先は立派な道になっていた。この頃から霧が発生し、水平視程100mほどになった。


富士宮市教育委員会・発行
『富士山村山登山道跡調査報告書』
(富士宮郷土資料館・700円)

登山ルートは八幡堂に北上するルートでなく、日沢に下るルートがあり、沢を登っていった。手入れの行き届いた登山道で、17:20富士スカイラインに到着。しかしこの先、標識はあるが登山道が見当たらず、怪しい箇所に踏み込んでみるけどどれも行き詰まってしまう。17:50探査をあきらめ西臼塚方面に下っていった。



★2003年7月6日(日)

6:00表富士グリーンキャンプ場を出発、高鉢駐車場に向けて『高鉢:キャンプコース』を進んだ。西臼塚分岐を右に行き、植林地帯を進んで、7:53高鉢駐車場に到着した。ここから『ガラン沢:高鉢コース』に入り、村山登山道上部の調査に向かう。

高鉢コースを進みいくつかの沢があり、日沢と思われる3番目の沢を過ぎると小さな窪地を発見、明瞭な踏み跡もあり最有力候補に。そのまま進み計8つの沢を越えて、10:14御殿庭ガラン沢コースにぶつかる。稜線に出て尾根筋を北に折り返す。御殿庭下の幕岩分岐で昼食を取り、12:08宝永第3火口分岐に到着。幕岩に向かい、御胎内分岐を南山林道の方面に行き、各所にブナの巨木があった。ここのどこかの踏み跡に入っていけば登山道があるはずだ。

来た道を戻り、須山口登山道を直交して、14:22水ヶ塚に到着。今回の調査は終了して、全体像が把握できた探査だった。



■中宮八幡堂祭

★2003年10月26日(日)

7:35村山浅間神社に到着、集合して車で西臼塚へ向かい、大淵林道に入って広場に駐車。日沢を渡り、5台の草刈り機で笹薮を切り倒して、9:45中宮八幡堂に到着。掃除・草刈をし、注連縄を張って11:08神事が始まった。



■村山口登山道試登A

★2003年11月9日(日)

地元の鯛津勝良さんと松浦伸夫さんが協力してくれることになり、標高1350m地点の無人駐車場に駐車して、8:21八幡堂入口に到着。反対側に土手上の斜面があり、以前来たときにも踏み込んだが見つからなかった場所であったが、鯛津さんが「確かこの辺だったな」と強引に踏み込むと、水色のビニールテープが下げてあり、踏み跡もあった。

9:20溶岩流にぶつかり、歩きやすい所を選んで、再びかすかに踏み跡たどって行く。前方の沢筋に倒木が下り側を塞いでいるが、これに平行して踏み跡があり、笹を払い下っていった。下っていくと溶岩流の末端に、回り込むように踏み跡が続いていて、巨大な倒木があり、その向こうは先ほどのところに戻るようになっていた。登ってきた人は倒木を嫌い、右の溶岩流に近道を求めたようだ。溶岩流の入口は丸太で塞ぎ、マーキングをしてルートを誘導して引き戻した。

10:00元の位置から再び出発、モミの樹林帯に入り倒木を整理して先へ進む。笹はますます繁殖しているが踏み跡はしっかりしており、道を塞いでいる倒木を整理して12:00昼食。12:30出発しようとすると、草刈機のエンジンがかからなくなり、フィルターの清掃などして13:10ようやく始動、笹の刈り取りや倒木の整理して進んでいく。

13:55右から沢が突き上げて源頭になっている所で、倒木が道を塞いで前方に踏み跡もなく、完全に道を見失ってしまう。少し下がったところの笹薮に突っ込んで、北方に進むと笹薮がへこんだ筋が2本見えたので、強引に突っ込んでみると幅3mほどの溝が南北に走っていて、溝の右岸から登り口もあり、上に向かっての踏み跡もあった。

薮がますますひどくなっていき、傾斜もきつくなり踏み跡消え、それでも溝の中を強行すると地積の協会標識があった。15:03傾斜は更にきつくなったと思ったら、スカイラインに突き当たる。古い木製の『村山登山道』の標識の2m東に出たが、標識の下にもかすかな踏み跡があり、松浦さんはここから出てきた。どちらが登山道なのかは長老の意見を叩くしかない。

スカイラインの反対側には、富士宮市の立てた『村山口登山道案内図』があり、その奥は笹薮ながら踏み跡が続いていて、ピンクのビニールテープが見えた。これで村山口登山道完登の目処が立った。




■村山口登山道試登B

★2003年11月24日(日)

8:35高鉢駐車場に車を止めて出発。標高1600mの登山道入口に行き、踏み跡を進んでいく。11:30上部ではこれまで少なかった倒木が道を塞いでいて、2尺を超える倒木はどうしようもなく、後ろの1尺物はチェーンソーで切り、12:12ガラン沢・高鉢ハイキングコースに出た。

しかし、出たところは高水敷が50m広がった日沢の左岸で、延長線上に先のルートが見当たらなく、ハイキングコースを50m東に行った所に、登る踏み跡があったが下る踏み跡がなかった。更に10m進むと2尺はある倒木が谷に向かって倒れており、それに乗って眺めると20mはあるその木の梢が広がっていて、下から登ってくるスズタケの凹みを塞いでいた。念のため北に登る踏み跡反対側を調べると、確かに踏み跡があった。この巨大倒木を嫌って西側に迂回路を造ったのが、先ほどの日沢に出たルートであった。

改めて元の道を下っていくと踏み跡があり、以前すでに草刈り機で刈り込んでいきながら、倒木に食い止められ丸太で塞いだところであった。改めて入っていくと何本もの木が倒れこんだ倒木の墓場だが、しかし踏み跡はしっかり残っており、小枝・スズタケを払ってハイキングコースまで大掃除した。マーキングを付け替えて、12:45終了し昼食。

13:15出発、背丈を越えるスズタケが相変わらずあり、まもなく2尺6寸はある倒木が塞いでいた。先に進むと5m四方の平地があり、人工的に石を並べて造った場所があり茶碗が落ちていた。ここは大樅新小屋跡で、広場の真ん中に直径5寸ばかりの木が生えていた。

日沢の左岸に出て勾配がきつくなっていき、先進むと崩れていて上に巻き道が造ってあった。ここを越えると笹を始め下生えが完全になくなっていた。先に進むと台風による倒木帯に差し掛かる。急坂を登りきって緩斜面に出たが見渡す限りの倒木地帯で、かなり腐っていて10cm以下の枝は乗るとボキリと折れ進みにくく、下にあった巻き道ルートを辿る事にした。再び倒木地帯にぶつかりこのルートは見限ることにして引き返した。このルートは1mほどの幅が保たれていて、緩い勾配が一定に保たれていることから木馬道跡と推測される。

元の場所に戻り、再び上に登り斜面が緩くなったところで、石を囲炉裏のように並べたところを発見。地面には確かな踏み跡らしいものは見分けられるので、この倒木帯は何とか突破できる見込みが立った。



村山口登山道探査



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