富士山表口・村山口登山道復活への道
   村山口登山道・探査編
 

■村山口登山道探査@

★2004年3月6日(土)

8:15出発し、8:22馬頭観音に到着。この先の杉林は伐採されていて、先へ進み五辻に出る。左に直角に曲がってその中を登る露岩だらけの古い道があり、その正面に『富士宮市粟倉字中山区有地』の標識がある。その右側に以前登ってきた薮道があるが、鯛津さんによると登山道はもっと左だといい、入口から間違ってたことが分かった。

奥へ登っていき、広い作業道が次第に細い踏み跡に変わっていき、次第に笹も出てくる。だだっ広い杉林の中で踏み跡が分からなくなり、右の沢に向かい登っていく。札打ち場入口に着き、南に去年登ってきた踏み跡があるが、登山道は南西だという。

札打ち場も過ぎ、しばらく進むと石垣が築かれてる。広葉樹混じりの明るい場所に出て、草刈機を動かす。高さ3mの木苺の密林を刈って行き、林道に出たところで昼食をとる。去年は林道を右に登ってすぐに新しい食隣地に入って道を見失い、引き返してずっと西に行ってしまったので、ここは真っ直ぐ正面の木苺の薮に突入した。溝の中を登っていくと間もなく薮は消え、右寄りに踏み跡をたどると沢底の道になる。

間もなく延々とゴミ捨て場の様相をしてくる。右側の天照教側林床のゴミが登山道のへこみに捨てられているので、やむなく土手の上を進ん
だ。バラ線が張られ「境界見出標」が現れると、富士山麓線のアスファルト道路にでる。

14:15折り返し開始。下りはゴミ捨て場を過ぎてからは忠実に沢底をたどっていく。16:01飯盛林道札打場入口。南西に向かう1間幅の道に入る。檜林の中で細い踏み跡になって左カーブになって下るが、これは間違いで間もなく行き止る。正しくは薮がうるさくなっているが、直進して1間幅の道をたどると沢筋にぶつかる。沢筋を下っていくうちに今朝は遥か西にそれて登っていたことが分かった。1人マーキングを回収しながら今朝のルートを下り、本隊3人は沢沿いに下っていく。

間違ったルートは、風損木の跡地に檜を捕植した場所を通過し、笹が生えているところを下り、広い作業同に出て間もなく左からの緩い角度で沢道が合流して林道に出る。16:35本隊はまだ到着しておらず、マーキングを付け直しながら引き返すと、緩い角度で右から合流している沢底から本隊が現れる。沢ルートは風損木がすごいそうだが、こちらが本道なのでマークを付け直す。


間違ったルートは、風損木の跡地に檜を捕植した場所を通過し、笹が生えているところを下り、広い作業同に出て間もなく左からの緩い角度で沢道が合流して林道に出る。16:35本隊はまだ到着しておらず、マーキングを付け直しながら引き返すと、緩い角度で右から合流している沢底から本隊が現れる。沢ルートは風損木がすごいそうだが、こちらが本道なのでマークを付け直す。

昨年7月、篠原氏と2人で登った時のルートは大きく2箇所間違っていた。最初は五辻のところで、左折しないで直進して木苺の薮に突っ込んでしまった。もうひとつは林道から飯盛林道の間で、かなり東側を迂回したようだ。いずれも富士宮市教育委員会の付図を忠実にたどったつもりだったが、同図は実地でデータを取りながら登って作図したものではないらしい。

林道から飯盛林道の間の完全な清掃には意外と手間取りそうである。本来の登山道と林業の作業道が交錯しており、作業道はトラックを走らせるため立派になっているが、登山道は間伐木が倒しこんであってゴミ捨て場と化している。特に天照教社のところはダンプとショベルカーを導入しなければどうしようもない。



■村山口登山道探査A

★2004年4月25日(日)

8:35天照教社に到着、富士山麓線からの下りの入口を少しばかり踏み固めて、8:50出発。天照教奥の院参道の右側を北東方向に進む。しっかりとした溝状の道を進むと倒木で道が塞がれている。道は一旦右に巻き道となり、20m先で左に曲がって、北東方向の直道を踏み越えて北西方向に進む。

9:10左に炭焼き窯の跡があり、どうやらこの道は炭焼き道だったようだ。9:20吉原林道に出て、正面に浄化槽施設があり、その右側10mのところに上に向かう道がある。去年はそのように登ったが、もしここで下ってくればわざわざカクカクと左右に折れ曲がらなくても、正面に踏み跡がついてることに気付くはずである。どこに行くのか下ってみると、途中踏み跡が薄くなってるところもあるが、やがて溝状の道に行き当たり、先ほどの倒木に塞がれてた場所にたどり着いた。二手に別れて、マーキングを付け直しながら上り直していく。

この間に吉原林道を下るところの笹を刈り込んでいた鯛津氏は、このルートが浄化水槽のところに抜けるのではなく、その50m東にある位置に突き上げてることを見つける。そこでこの笹の踏み跡を登っていくと、わずか3分で吊り橋の下に出た。この溝こそが登山道と確信して吉原林道に戻ると、ちょうどそこに付けたばかりのマーキングをたどってきた4人の登山者が現れる。新発見ルート登山者第1号である。

10:34溝状のルートを辿らず、吊り橋の西側の溶岩流ルートに入る。わずか100mとはいえ踏み跡は見えにくく、浮石が多くて歩きやすいとは

いえない。まもなく笹の間の土道になるが、右後ろに引き返すように踏み跡がある。入ってみると踏み跡ははっきりしてて、すぐに崖の上に出る。崖と行っても高さ1mほどで、ここまで先の溝道が続いている。

11:00富士山麓山の村緑陰公園に出る。ここで休憩して鯛津氏が草刈り機の目立てをしていると、静岡県とネームのある車が停まって我々に何か文句を付けているようだ。なんだかよく分からないが、管理等の方に行くと2人の男がいて、1人は「ちゃんと事務所で許可を取ってもらわないと」と息巻いている。もう1人がまあまあとなだめて、「分かりました、休憩なさっていると言うことで了解しました」と言っている。要するに、県の施設であるベンチに無断で座っていることが気に食わなかったらしい。ここがあくまでも教育施設であることを配慮すべきであった。

11:22日沢を渡って左の笹の切り開きを進んでいくと、2件目のバンガロー風の建物の所で、北東に向かう直線道から左へと檜の植林地に踏み込む広い踏み跡がある。正面の道は通れないことはないが、タラの木などが生えている薮になっているので、昨年同様くっきりと踏み跡が続いている前者を進むことにする。

オリエンテーリング道を横切り、「村山登山道」と標識が立っているが、オリエンテーリング道の東20mの所に北東に向かう溝道が平行している。まもなく最近間伐した檜林にはいる。窪んだ登山道に間伐木を倒しこんだり、枝が捨ててあるのを掃除しながら進んでいく。少し傾斜が出てきた所で踏み跡が曖昧になってくる。ルートファインディングを行うと、薮だらけながらも右側に平行して溝道が続いているのを発見した。考えてみると1枚の植林地の中央を古い登山道が通ることは不自然であり、登山道は土地所有や区画の境界になっているほうが自然である。

昼食を取り、12:50除去作業を開始する。笹を刈り込み掃除しながら下っていき、13:44先ほどの植林地入口に到達した。マーキングを付け替えながら登り、14:00昼食を取った場所に戻る。14:21馬頭観世音(1140m)に到着、石碑のすぐ前を踏み跡が通っているが、登山道は手前から右下の溝道に下りる。進むと溝道が2手に分かれていて左に向かい、14:54大淵林道に出る。

これでようやく村山浅間神社から標高1850mの大風損木帯に至る旧村山口登山道のルートをほぼ完全に確定することができた。あとは大風損木帯の突破である。

一服入れて出発、15:25中宮八幡堂に到着。笹の刈り込みのおかげで周辺は気持ちの良い広場になっている。ここから日沢を左岸に渡り、苔むした溶岩流帯を登るとまもなく土道になり、笹の切り開きを進んで、16:07スカイラインにたどり着く。登ってきてちょうど真向かいに更に上に向かうルートがあるはずだが、意識して去年付けたマーキングを探さないと、そこを登るとは到底分からない。スコップを持ってきて登り口を作ったほうがいいかもしれない。


■村山登山道探査B

★2004年5月23日(日)

スカイラインを登っていくほどにガスは濃くなり、旧料金所を過ぎると視界は50mを切るようになる。高鉢駐車場(1600m)に着くとガスは消えたが本格的な雨である。雨支度をして9:15出発。9:35村山登山道(1650m)に到着。

9:42右側に小屋跡の平地(1670m)。『
富士山村山口登山道跡調査報告書(以下、報告書)』によると4建物跡で矢立・新小屋である。10:15木馬道跡到着。この跡は正面に登って大倒木帯にぶつかる。地上のへこみをできるだけ忠実にたどる様にするが、倒木の隙間を通ったり乗り越えたりして、方位だけは真北を保って登っていく。前回見つけた5建物跡滝本・笹垢離は見落とす。


10:54標高1830mちょっとした広場になり、左に枯れ沢が近づく。ここから2手に別れ本隊は沢の底、もう一方は左岸高みの倒木帯を登る。この沢から西の風損はなく、東が倒木帯で左岸高みはまともに歩ける所ではない。それでも登っていったが、途中で左岸高みルートは諦めて沢に下りる。この沢は両岸とも高水敷が上に行くほど発達しており、左岸にかなりはっきりした踏み跡がある。

11:30左岸の高水敷がなくなる手前で低水路に石積み風の石があるところで右岸に渡る。報告書に載っている
横渡の写真とはちょっと違って貧弱な感じである。次に来る時はこの手前にある6建物跡も合わせて調べなおさなければ。

右岸の高水敷も次第に狭くなり、右岸斜面の狭い巻き道を登るようになるが、ここから右岸の稜線を登ると左水平方向に踏み跡程度の巻き道があり、左斜めに向かって巻き道がある。いずれもたどってみると100mほどで大倒木帯に遮られてしまう。しかもこれは西に向かうルートなので、引き返して右岸高みの稜線を目がけて登る。雨はますます強くなっていき、メモが濡れてほとんど記録できなくなる。


土盛の中央にある石段を登ると広い敷地がある。土台石と思わしき石が転がっており、左隅に白塗りの標識「
富士山本宮浅間神社中宮祠跡」とあり、裏には「昭和五十六年九月十八日建之」と読める。ここが8建物跡で、昭和初期の地図に一ノ木戸として載っている所で、絵図の室大日堂・木戸室・茶屋室にあたるところである。この辺りから窪んだ道はしっかりしており、きれいにジグザグを切っている。倒木もひどくなく、チェーンソーと鋸で掃除しながら登っていく。
石垣にぶつかり、左から回り込むとそのうえは広場になっていて、9建物跡の普浄と思われる。14:35また建物があったと思われる広場が道の右側にあり、報告書ではこの10の建物跡第一層・等覚門(2210m)で村山口1合目にあたるものと思われる。

雨は衰えず薄暗くなってくる。吊り下げている真紅のテーピングも10m離れると色が識別できない。ここから下山することにする。窪んだ登山道を上からたどってみると、登る時に倒木に邪魔されてルートを間違えた箇所が結構ある



■村山登山道探査C

★2004年8月1日(日)

8:25高鉢駐車場ガラン沢・高鉢遊歩道を伝って、8:58村山口登山道に到着。9:03矢立・新小屋、9:45木馬道跡を通過して大倒木帯に突入。山頂が見える所まで登って写真撮影をして洞口氏(朝日新聞富士通信局)は下山。畠堀氏がガラン沢・高鉢遊歩道までサポートして見送って登りなおして、11:52本隊に追いつく。12:08室大日堂・木戸室・茶屋室で昼食を取り、13:07出発。

13:409建物跡の普浄、13:4510建物跡第一層・等覚門を通過して、この先は倒木もなくジグザグ道を登る。14:00周りに石積みのある窪んだ広場があり、11建物跡(2360m)、石積みは3合石室が崩壊したものか。14:08また石積みで囲まれた広場がありで便所の跡もはっきりしている。

14:30樹林帯を抜けてガレ場に出る。目前に新6合目の小屋も見え、鯛津氏・松浦氏の喜びようは大変である。しばらくの間、みんなで来し方を眺めやってこれまでの苦労を語り合う。ガレ場の踏み跡もきちんとたどればまったく崩れることは無い。しっかりしたものである。

15:15新6合目到着、宝永山荘(2500m)に入ってビールで乾杯!



以上が畠堀さん達が2年がかりで調査・整備を行なった記録です。しかし、いまだ不明な点も多く、今でも別の道筋を発見しているそうです。現在、地元の人たちも草刈りや標柱を立てたり、石畳を敷いて村山登山道の保存に努めていますが、多くの人たちが登って道を踏み固めるのが一番の保存方法です。このサイトを見て1人でも多くの登山者が村山登山道を利用してもらえれば幸いと思います。



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