海から登る富士登山
   田子ノ浦港東岸〜三日市場浅間神社(東海道)

◆田子の浦(0m)〜三日市場浅間神社(10m)

田子の浦港(0m)の東岸をスタート地点にする場合は、波が穏やかな時ならば、一番西側で海に触ることができます(波が高いときは近づかないように)
ルートMAP

東に向かって歩き、駐車場を抜けて、土手を登っていきます。土手を登ったら、Uターンして門に向かいます。ちなみに、この場所は日本テレビ系列「鉄腕DASH」のソーラーカー日本一周の旅で、この土手の上でバッテリー切れして止まった場所でした。


田子ノ浦・東岸(0m)


駐車場を抜けて土手を登る


土手を登ったらUターンして門へ向かう

門を抜けて土手を降りたら、右にUターンして奥の道に入っていきます。220m進むと、左手に鈴川の富士塚(10m・0.62km)があります。この富士塚は、昔の登山者が海水で水垢離した後、海岸の石をひとつずつ置いていって安全を祈願していました。

380m進むと丁字路(10m・1.00km)に突き当たり、この東西に進む道が江戸以前からの古代東海道に当たります。


土手を降りたらUターンして奥の道に入る


鈴川の富士塚(10m)


突き当たりの道が古代東海道

最短の道で歩くのであれば、古代東海道の丁字路を左に曲がって、すぐ右折するとJR吉原駅に辿り着きます。駅の西側に地下連絡通路があるので、でたら右に曲がり、北口駅前を通って旧東海道に合流します。

歴史の道を進むのならば、右に曲がって古代東海道を東に進みます。150mほど進むと左手に石仏群、右手には地蔵堂(9m・1.15km)が建っています。やがて線路沿いに出て、東に200m進むと旧東海道(7m・1.57km)の丁字路に出ます。

この場所は元吉原宿と呼ばれ、元々ここに吉原宿があったのですが、たび重なる津波被害によって、寛永年間(1624〜44年)に中吉原宿、天和2年(1682年)に新吉原宿に移転しました。


JR吉原駅の地下連絡通路


地蔵堂(9m)


東海道・元吉原宿(7m)

丁字路を左に曲がり、鈴川踏切を渡って道なりに左へ右へカーブしていき、河合橋の手前左側には石仏(4m・2.00km)があります。河合橋を渡って120m先の二又を左に進み、国道139号線の吉原駅入口交差点(4m・2.54km)に出ます。

次の東名高速下の依田橋西交差点(4m・2.71km)で、依田橋を渡らずに右斜めの道に入っていきます。交差点から300mほど進むと、左手に左富士神社(4m・3.14km)があります。この北側辺りに依田橋一里塚があったそうです。


河合橋手前の石仏(4m)


左富士神社(4m)


左富士手前の石造物

神社からすぐの交差点に左富士(5m・3.25km)があります。京都に登る際、通常は右側に富士山が見えるのに、この吉原では左側に富士山が見えることから名付けられました。かつては松並木で、江戸時代には中吉原宿として栄えた場所でした。また歌川広重の『東海道五十三次・吉原』にも描かれた場所です。

日清紡績の工場を過ぎ、郵便局の前に馬頭観世音題目碑(3m・3.52km)があります。

ここから240m進むと、新橋の交差点の角に平家越の碑があります。治承4年(1180年)の源平の富士川の戦いで、水鳥が飛び立つ羽音に驚いた平氏の軍勢は源氏の襲来かと思い、敗走した場所と伝えられています。


名勝・左富士の松


安藤広重『東海道五十三次・吉原』


平家越の碑

川を渡って650m歩くと交差点があり、その少し先に東木戸跡(4m・4.18km)の案内標識があり、ここから吉原宿が始まります。

吉原本町駅(5m・4.41km)そばの踏切を渡ると宿場町の中心に入っていきます。静岡銀行(5m・5.00km)の手前の信号で左に曲がり、2つ目の交差点を右に曲がります。


東木戸跡


明治天皇御小休所の碑


静岡銀行手前の信号を左折

2つ目の題目塔のある交差点を右に曲がり、480mほど道なりに歩くと、川の手前が西木戸跡(6m・5.57km)でここで吉原宿が終わります。この場所で東海道と分かれて、右に曲がります。国道139号線を横断します。


題目塔のある交差点を右折


西木戸跡を右折


国道139号線を横断してY字の道に入る

国道から入るとすぐにY字を右に入り、吉原1中の南西角を右折して北上すると富知六所浅間神社(三日市場浅間神社)に到着します。


Y字を右へ


中学校の角を右折


富知六所浅間神社(10m)


三日市場浅間神社〜村山浅間神社(村山道・東見附ルート)

三日市場浅間神社〜富士山本宮浅間大社(大宮道)


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