富士講の足跡を辿る・日本橋からの富士山道

    甲州道中E 犬目宿〜大月宿

◆犬目宿(506m)〜鳥澤宿(318m) 5.02km
ルートMAP

犬目宿を出発するとすぐに右カーブをしていき、『空』と書かれた大きな石の玉のある寶勝寺(83.24km地点)の前を通ります。その先のクランク状のカーブの辺りに不動明王像があり、その先には白馬不動尊の鳥居があります。そのすぐそばには、これこそ日本の風景だと言うような茅葺小屋と田園の風景が出迎えてくれます。ここは瀧松苑(83.51km地点)という蕎麦を提供している店で、完全予約制(0554-66-3132)となっているそうです。


寶勝寺


白馬不動尊


これぞ日本の風景・瀧松苑

瀧松苑から150m程歩くと、右上に上がって行く未舗装路(83.66km地点)があるので登っていきます。県道の上を歩いていき、5分ほどで君恋温泉(563m・83.81km地点)に到着します。ここが犬目峠の最高地点となり、ここからは鳥澤宿まで一気に下って行きます。


君恋温泉に入る道


また県道の上を歩いていく


犬目峠の最高地点・君恋温泉

君恋温泉を出発すると、道はT字に別れています。旧道は右の未舗装路(緑)に下っていくようになっていますが、途中から通れるかは未確認です。ですので、ここでは左に曲がり、降りた所で県道に戻るので右にU字に曲がっていきます。140mの直線を歩いたあとU字に左カーブをし、次の右カーブの所に21里目の恋塚一里塚(532m・84.16km地点)があります。


緑は旧道、降りれるかは不明


県道と合流、U字に曲がっていく


21里目・恋塚一里塚

また左にU字に曲がると馬宿集落(84.31km地点)が始まりますので、集落入口の山神社の下から右上の小道に入って行きます。集落を抜けると40m程の馬宿石畳(84.47km地点)を下っていきます。県道に戻り、170m下っていくと境界線を越えて大月市に入って行きます(520m・84.68km地点)。


馬宿集落を山神社の下から入っていく


馬宿の石畳


大月市に突入、晴れていれば富士山も

山谷のバス停のある山谷集落(85.26km地点)を左にカーブしていくと、集落の一番下のガードレールの切れている所(85.47km地点)があるので、右下の道に入って行きます。


山谷集落


右下に下っていく


県道に戻った所を右折

再び県道に戻り、道なりに県道を下っていくとT字路の正面に中野石造物群(369m・86.40km地点)があります。このT字路を左に曲がり、更に県道を下っていくと、県道は右にカーブしていきますが曲がらずに、真っ直ぐ小道に入っていきます。中央自動車道の手前で、T字路を右折し、すぐの十字路を左折して高架の下をくぐります(86.89km地点)。


中野石造物群


右にカーブせず真っ直ぐに下っていく


T字を右折し、すぐ十字路を左折

久しぶりの国道20号に出る手前にも石造物群(87.11km地点)があり、鶴川宿から始まった犬目峠越えも終わりとなります。この近辺で歌川広重は冨士三十六景『甲斐犬目峠』不二三十六景『甲斐犬目峠』を描いたと推測されています。


歌川広重・冨士三十六景『甲斐犬目峠』


石造物群


歌川広重・不二三十六景『甲斐犬目峠』

右折して国道に入って少し進むと二十二次・鳥澤宿<下鳥澤宿>(312m・87.36km地点)に入ります。その先の鳥澤小学校があり、ここには22里目の鳥澤一里塚(87.69km地点)がありました。

鳥沢駅を過ぎ、明治天皇駐蹕地<ちゅうひつち>碑がある所が二十三次・鳥澤宿<上鳥澤宿>井上本陣跡(318m・88.08km地点)となります。


下鳥澤宿


22里目・鳥澤一里塚跡


上鳥澤宿・本陣跡


◆鳥澤宿(318m)〜猿橋宿(315m) 3.31km
ルートMAP

上鳥澤宿を出発すると右にカーブをしていき、三栄工業の看板の所(88.38km地点)から右の道に入って行きます。途中の右手に馬頭尊の石碑があり、横吹団地を過ぎて国道20号に戻ります。


三栄工業の看板から右の道に入る


馬頭尊


国道20号線に戻る

東京から89kmの標識がある小向集落に入ると左手に火の見櫓が見えてきます。その向かいに大きな木があり、その下の前田商店(89.49km地点)の前から右の道に入って国道と別れます。入って30mの所にあるY字路を左に進むと、薪小屋の左脇の土の細道に入って行きます(89.63km地点)。


前田商店の前から右の道に入る


すぐのY字を左へ


小屋の左側から更に狭い小道に入る

細道を下っていくと勢いよく流れる用水路が見えて、国道20号の宮谷橋東詰(89.68km地点)に出ます。国道を桂川側に横断して、橋の脇にある人ひとり分の幅の坂道を降りていきます。フェンスの切れているところで谷側の方に移動して、赤い測量点があるところから左下に谷を下りていきます。


宮谷橋東詰の所から左下に下りていく


フェンスの谷側を歩いていく


赤い測量点の所から左下に下っていく


ヘアピンに曲がり、小屋の前に行く

完全に藪漕ぎの道になり、草が伸びていると道を見失いそうになります。半分ぐらい降りた所で、後を振り返ると小屋が見えますので、U字に曲がり降りて小屋も前に出ます。

小屋の前で右折して田んぼのあぜ道を歩き、右に曲がって小屋の前の砂利道に出ます。このあぜ道の20mほど東の所に四国八十八ヶ所百番供養塔があるので、もしかしたら本筋はそちらのほうに延びていたのかもしれません。


小屋の前から田んぼのあぜ道を歩く


桂川精進場跡付近

進んでいくと右手の岩肌にたくさんの桂川石碑群(284m・90.06km地点)があり、その中には富士講碑が2基含まれています。この辺りには桂川精進場があり、かつて道者達は富士山からの神聖な水を集めて流下する桂川で身を清めていました。

少し進むと岩肌に人が通れそうな道筋がありましたが、上の方で民家の中に入りそうなのでそのまま直進して、十字路を右折して坂を上がり宮谷交差点(90.25km地点)のところで国道20号に戻ります。この近辺には、ルートが変わって廃線となった中央本線のレンガ造りの橋脚やトンネルが多数残っています。


桂川精進場の石造物群


始めの十字路を右に


坂を上がり宮谷交差点に出る

東京から90kmの標識を過ぎ、5分ほど歩くと新猿橋の前に着きます。この橋は渡らずに手前の斜の道を右に入って行きます。すぐに猿橋の案内板があり、石積みの柵の先を左に折れて階段を下っていくと日本三奇橋のひとつ猿橋(91.03km地点)が架かっています。


歌川広重『甲陽猿橋之図』


新猿橋の前を右に入る


左に折れて階段を下ると猿橋

猿橋は、長野県上松町の「木曽の桟」、山口県岩国市の「錦帯橋」と並んで奇妙な形をしている橋から日本三大奇矯(日本三奇橋)と呼ばれ、古くは7世紀ごろに作られたと伝えられ、鎌倉時代には存在していたらしいが、その起源ははっきりとしてなく、吊橋だったとの推測もあるそうです。1676年(延宝4年)以降に橋の架け替えの記録が残り、少なくとも1756年(宝暦6年)からは現在のような形で作られてた様です。

渓谷の深さが30mの所に、長さ31m幅3.3mの木橋を架けるために橋脚を建てる事もできないため、両岸から四層のはね木を張り出して架けられました。猿が梢伝いに川を渡る姿から作られたと伝えられ、歌川広重の『甲陽猿橋之図』に描かれたり、松尾芭蕉の『猿橋や 月松にあり 水にあり』と歌われたり、多くの人々に愛されてきました。

猿橋を渡ると公園になっており、トイレもあるので休憩するには気持ちのいい場所です。渓谷の下にも降りることもでき、時間のある方は立ち寄ってみるといいと思います。特に秋の紅葉シーズンでは鮮やかな景色を見せてもらえます。正面の大黒屋は忠治蕎麦を出していて、かつては国定忠治や歌川広重も昼食をとったと言われています。

新猿橋西交差点で右折して国道20号に戻り、二十四次・猿橋宿(315m・91.39km地点)に入って行きます。


日本三奇橋・猿橋


橋では珍しい四層のはね木


猿橋宿


◆猿橋宿(315m)〜駒橋宿(316m) 2.28km
ルートMAP

桂川沿いに馬頭観世音や道祖神などが点々としてる国道20号を進み、宮下橋を過ぎると猿橋駅のそばを通過します。国道が左にカーブする所に、23里目の殿上一里塚跡(92.46km地点)があります。カーブを抜けて100mの所に中央本線の手前にカーディーラーがあり、かつては閻魔堂がありました。ここから右の斜の道に入って行き、東京電力社宅(93.07km地点)の前は直進していきます。


23里目・殿上一里塚跡


閻魔堂跡


東京電力の社宅の前は直進

下の発電所入口の所にはタービンが展示してありました。駒橋水力発電所(316m・93.29km地点)のパイプが2本あり、その先の分かれ道を右上に上がっていきます。直進して下っていくと右カーブする所に綺麗な滝があります。


水力発電所の近くにある滝


水力発電のタービン


駒橋水力発電所のパイプ

登っていくと中央本線に沿っていき、第五甲州街道踏切(93.07km地点)を渡って行きます。国道20号に戻ると、すぐにまた右の斜の道に入って行きます。入っていき旧道の出口辺りに厄王大権現があり、この付近が二十五次・駒橋宿(345m・93.67km地点)でした。この辺りの甲州道中は、中央線や国道・発電所の建設などでズタズタになっていて不明になっています。


中央本線・第五甲州街道踏切


駒橋宿入口


駒橋宿


◆駒橋宿(316m)〜大月宿(361m) 1.74km
ルートMAP

旧道から国道20号に出る所に道祖神秋葉山常夜灯があり、国道のデイリーヤマザキ(93.85km地点)がある所から本来旧道がありましたが、現在は通れないので国道を進みます。満北亭(94.19km地点)というラーメン屋の手前を右に入ると、正面に岩殿山が眼前に迫ります。


大月駅入口


正面には岩殿山


さつき通り商店街入口

国道139号の陸橋の下をくぐり、住宅地を抜けていくとブロック舗装のさつき通り商店街に入り、JR大月駅前(94.92km地点)に出ます。この手前右角にある濱野屋は、富士講の宿泊場所になっていて賑わっていたそうです。

交差点はそのまま直進して、大月2丁目交差点(95.19km地点)を右折して国道20号線に戻ります。しばらく進み、国道左側に滝口商店の前に明治天皇御召換所阯碑があり、ここが二十六次・大月宿本陣跡(360m・95.41km地点)となります。


大月駅


富士講の宿泊地・濱野屋


大月宿・本陣跡



※ちょっと小話・大月桃太郎伝説

桃太郎といえば岡山県が有名ですが、日本全国にも存在し、この山梨県にも存在します。


昔々、九鬼山から追われた鬼が岩殿山に住み着き、村民を苦しめていました。

岩殿山の東にある百蔵山(ももくらやま)には多くの桃が実っており、その中のひときわ大きな桃が川に転がり落ち、桂川にを経て川下の鶴島(上野原市)に流れてきました。川で洗濯していたおばあさんに拾われ、食べようと切ってみると中から元気な男の子が出てきました。

大きく成長した桃太郎は、岩殿山の鬼を退治しにおばあさんが作った団子を携え出かけました。道中で犬目宿で犬を、鳥沢宿でキジを、猿橋宿で猿を仲間にして、岩殿山に到着しました。

退治しに来た桃太郎に怒った鬼は、石の杖をへし折って桃太郎に投げつけてきました。桃太郎はかわして杖は地面に突き刺さり、大地震が起こりました。背後に回り込み、鬼は残った杖を再び投げつけました。これもかわして、鬼が東の徳厳山に足をかけ逃げようとしたところで退治されました。



一説では高速のSAがある談合坂の由来は団子坂から来ているという話があります。鬼の投げたという1本目の杖は市内の石動という名称の由来となり、鬼の杖という石も残っています。もう1本の杖は、笹子に突き刺さって鬼の立石呼ばれています。退治された辺りでは今でも赤い土が出てくるそうです。

元々、昔の桃太郎の話もちょっと怖い話らしいので、親しみやすくするために、絵本に書かれているような今の話になったのかもしれません。その際、話を作った作者がこの辺りの出身だったのかもしれません。


7.大月宿〜谷村宿


inserted by FC2 system