村山口ルート
   ルート解説A 中宮八幡堂〜富士宮口新6合目

◆中宮八幡堂〜倒木地帯(1810m)

日沢左岸に渡り進んでいくと、辺り一面にコケが生えている神秘的な場所に出ますので、登山道以外のコケを傷つけないように進みましょう。一度失われると再生するのに時間がかかるためなので、美しい景観を残すために登山道以外は歩かないようにしてください。

日沢から50m進んだ所に建物跡があり、釼王子・牛ヶ王子もしくは女人堂と思われる場所があります。ここから500mほど進むと石組みの広場があります。西河原(1335m)と思われる場所があります。

ここから60mほどで、再びスズタケの間を通り富士山スカイライン@(1345m)と交差します。また、この2つの跡地の間に山ノ宮明神絹笠石があったそうです。

凄いスピードで車が行き交うので気をつけて横断をして、向かい正面にあるスズタケの間から入っていきます。ゴツゴツした溶岩流地帯で、踏み跡がわからないので赤いマーキングを見ながら進んでいきます。


コケが敷き詰められた緑一色の登山道

次第に道の勾配が増していき、標高1500m越えると本格的な登りになって、ドンドンと高度を稼いでいきます。スカイラインを出発してから1時間ほどで上の富士山スカイラインA『10.8km』地点(1600m)と交差します。その向こうには標柱『標高一六〇〇米』が立っています。


西河原推測地(1335m)


富士山スカイライン@(1345m)


富士山スカイラインA10.8km地点(1600m)

出てきた所の向かい正面に『村山口登山道案内図』があり、スズタケの間から入っていけるようになります。

真北に向かって登っていくと、東西に伸びるガラン沢・高鉢遊歩道(1690m)にぶつかりますので、右に3mほど行くと再び北に向かう道があるので入っていきます。

この遊歩道は西に20分ほど歩けば高鉢駐車場へ行くので、いざとなったこのルートからスカイラインに出ることも可能です。この先標高2360mの宝永山遊歩道までエスケープルートがないので、天候や体調などに気をつけて進んでください。

スズタケも少なくなり、右手に人工的な広場があります。石組みも残っていて、矢立・大樅(1710m)にあたる場所と思われます。この前にあった西河原からここまでの間に、小受鷹龍王子という堂室があったそうですが、現在はスズタケに埋もれて不明です。


富士山スカイラインからの入口


ガラン沢・高鉢遊歩道(1690m)


矢立・大樅(1710m)

矢立・大樅を出発して少し行くと、左下が日沢の崖の上を歩いていくので気をつけて進んでいきます。次第に勾配を増していきスズタケも姿を消す代わりに、倒木が目立ってきます。

そして目の前の視界が開け、広く空が見える倒木地帯(1810m)に出ます。一面にはテンニン草やヒヨドリ花が群生し、辺りには多くのアサギマダラなどの蝶が乱舞しています。秋になるとその風貌は一変して、枯れ果てて寂しい登山道になります。


倒木地帯(1810m)


ヒヨドリ花の周りをアサギマダラが乱舞


10月下旬の倒木地帯



◆倒木地帯〜一ノ木戸(2160m)

再び樹林帯に入ると木馬路跡(未確認)があるそうです。倒木地帯に入る手前がY字の分岐点になっていて、しののマーキングは倒木でふさがってる左ですが、こちらは瀧本・笹垢離を通らず日沢沿い進むルートで、畠堀さんに確認をとったところ違うルートらしいです(昭和17年に登った冠松次郎も、同じこの間違ったルートを登ったそうです)。正しいルートは右に向かっていきます。

急坂を登っていくと、突然緩斜面になる所があり覗いてみると、辺り一面の木がなぎ倒されている大倒木地帯が広がります。

倒木地帯の中を歩いていくと、開けた場所に『不動明王と地蔵3体』があります。ここの不動明王に『富士山表口瀧本前』と刻まれてることから瀧本・笹垢離(1860m)にあたる場所になります。首のない地蔵や袈裟斬りされた不動明王を見てわかるように、廃仏毀釈の傷痕がこんな山奥にも達していることが解ります。


大倒木地帯


秋の瀧本・笹垢離(1860m)


不動明王と首なし地蔵

10年前に調査した富士山ふるさと展示室の方の話だと、もしかしたら瀧本・笹垢離は別の場所にあって、廃仏毀釈の際に移動したのかもしれないという仮説を話していました。この辺りの倒木地帯は以前はもう少し分かりやすい道・広場があったそうですが、風害が起きてからはいまいち分かりづらくなっているそうです。

石造物の間から上に続く道があり、倒木の間を歩いていきます。途中、倒木で道が塞がれて分かりにくくなっている箇所がありますが、マーキングを確認しながら登っていきます。

日沢左岸の尾根沿いに20分ほど登っていくと、日沢の手前に8m×6mの広場小禅定(1980m)があるそうです(未確認)。


横渡(2000m)


倒木地帯から見える富士宮口新5合目


倒木地帯の先、左側急な崖に注意!

やがて左下の日沢に堰堤のようなものが見えてきて、岩を組み合わせた構造物のように見える場所があります。ここが横渡(2000m)で、日沢右岸に渡っていきます。

尾根をマーキングを追って登っていくと、人工的な広場があり石垣が組まれてる場所があります。おそらく等覚入(2070m)と思われます。この先でまた『富士吉』マークと別れますが、すぐ上でまた合流しますのでどちらでもかまわないと思います。

先ほどの広場からジグザグと20分ほどで、目の前に石垣が見えてきます。石段を登ると大きな広場に出て、まず目に付くのは古いヤカンが置いてありますので、過去の遺物なので触らないでそのままにしておきましょう。

ここは室大日堂・木戸室・茶屋室、昭和初期の地図では一ノ木戸(2160m)にあたるところです。登ってきて左手に標柱『富士山本宮浅間神社中宮祠跡』が立っています。


富士山本宮浅間神社中宮祠跡


等覚入(2070m)


一ノ木戸(2160m)



第一層・等覚門・砂振(2270m)

◆一ノ木戸〜第4層・富士宮口6合目(2490m)

広場の東側に上へ続く道があり、15分ほど登ると石垣があり上に上がると広場になっています。ここは普浄(2250m)にあたる場所と思われます。また、この間には行者堂があったようです。

出発して5分ほどで、倒木が散乱している大きな広場に出ます。ここが1合目にあたる第一層・等覚門・砂振(2270m)と思われます。ここまで登ってきて、ほぼ河口湖口5合目と同じぐらいの標高で1合目かと思うと少しげんなりしますが、ここから先はすぐに2合目、3合目と続きます。

第1層を出発して15分ほど登っていくと、今までとは違ってなにやら人の気配を感じる空間に出ます。右上に立っている標識を見ると宝永山遊歩道だと言うことがわかります。

そして右の方を見ると、遊歩道の下に広場があります。ここが2合目にあたる第二層・石室跡(2355m)と思われます。


第二層・石室跡(2355m)


宝永山遊歩道


第三層・石室跡(2385m)

遊歩道を横切り、ジグザグと10分ほど登っていきます。木の高さも次第に低くなってきて、石垣の組まれている広場があります。3合目にあたる第三層・石室跡(2385m)と推定されています。東側に2ヶ所穴があり、トイレの跡と思われます。

出発して少し歩くと、どんどん木は低くなり灌木地帯に変わっていくと共に、足場もガレ場に変わります(2420m)。上を見上げると新6合目の山小屋が見え、あと一息です。踏み跡はうっすらと残っていますがマーキングを頼りに登っていきましょう。

次第にガレ場が広くなるので、左の尾根沿いに登っていき山小屋の西側から富士宮口登山道に上がり、4合目にあたる第四層・富士宮口新6合目(2490m)雲海荘・宝永山荘に到着します。


森林限界(2420m)


第四層手前


第四層 雲海荘・宝永山荘(2490m)


この先は富士宮口ルートと重複しますので、詳細は下のボタンから富士宮口新6合目へ飛んでください。この上は6合目第五層新7合目第六層元祖7合目第七層8合目9合目がそれぞれ第八層第九層にあたります。

今回紹介した村山口ルートは畠堀さんらが2年かけて調査し、まだ新たにルートを見つけているようで、いまだに完全なルート分からないようですが、登山するには十分なルートだと思います。富士山ふるさと展示室の方の話では畠堀新道とも呼んでいるようです。また、吉田口みたいに大規模な発掘調査をすれば多くの出土品が出てきて、正しいルートが分かるかもしれないと話していました。


富士宮口新6合目より村山登山道を望む


富士宮口ルート解説



inserted by FC2 system