吉田口ルート
   ルート解説A 馬返し〜6合目・安全指導センター


登山道に所々ある浸透桝

◆馬返し〜2合目・冨士御室浅間神社(1715m)

禊所の手前を左に行くと、旧登山道に並行するように整備された幅の広い登山道が続きます。所々に雨水を地下に流し込む、丸太で組まれた桝型の「浸透桝」という穴があります。

避けて直線的に10分ほど登ると1合目鈴原天照大神社(1520m・7.92km地点)に到着します。

一ノ獄大日社
とも呼ばれる鈴原社は、浅間明神の本地仏である大日如来が祀られていました。現在本尊は麓で管理されており、7月1日のお山開きの日に富士講の護摩焚きがあり、その際に鈴原社に戻されて御開帳されます。(2012年は雨天のため、馬返しの禊所で行われました)


鈴原社手前の旧登山道の木階段


1合目・鈴原天照大神社(1520m)


鈴原社の大日如来

勾配もきつくなり、所々滑りやすい箇所かあるので気を付けて15分ほど進んでいくと、左手に潰れているレッキス(1595m・8.33km地点)という小屋が見えてきます。

更に石畳と木階段の区間を経て25分ほど進むと、1合5勺一ノ鳥居跡(1700m・8.87km地点)があり、現在は土台と根元の部分しか残っていません。鳥居を超えてすぐ右の広場は定禅院跡があったと推定されています。


レッキス小屋跡(1595m)


1合5勺・一ノ鳥居跡(1700m)


1合5勺・定禅院跡と思われる場所

左手に石垣が組まれている所を過ぎると、道は右にカーブしていき、その内側に石造物が建っています。最後に段差の大きい階段を登ると、富士山中で最も古くからある2合目冨士御室浅間神社(1715m・8.98km地点)に到着します。

北口浅間神社を下浅間と言うのに対して、ここは上浅間と呼ばれていて、木花咲耶姫命が祀られています。現在、本殿は勝山浅間神社に移築されて、かわりにこの場所には小社が建てられています。

西側にある石碑群の向かいの広場に、かつて役行者堂があり、役銭の代わりに切手を納めていたようです。


2合目手前の石造物


2合目・冨士御室浅間神社(1715m)


2合目・役行者堂跡と推定されている場所



◆2合目・冨士御室浅間神社〜4合5勺・御座石浅間神社(2040m)

2合目を出発するとすぐ御室浅間橋が架かっていて、ここにある沢には御釜と呼ばれる穴があります。江戸時代まではここから先が女人禁制となっていました。この先、登山道はこれまでの直線的の道から、左右に蛇行するつづら折の道に変わっていきます。

車止めの柱を過ぎた先の広場に、金剛杖役場跡(1750m・9.19km地点)があって売っていたようです。この手前に石垣の一部が残っているらしく、女性の立入りを取り締まった中改役所があったと推測されています。

このあと、石階段を登って車止めを抜けると細尾野林道(1775m・9.27km地点)があり、左側には夏季のみに使用できる仮設トイレが設置されています。


御釜


金剛杖役場跡(1750m)


細尾野林道(1775m)



★吉田口の隠れスポット『女人天上』

細尾野林道を右手(東)向かい、少し歩くと左カーブの所の右手にコンクリート製の堰があります。この先の右手にある丸太の階段が、女人天上の入口です。

ここから5〜6分ほど登ると富士山遥拝所<女人天上・御来迎場>(1810m)があります。本来、2合目からは女人禁制なのですが、御室浅間神社からは山頂と御来光が拝めないため、本道とは違う道を内緒で登ってきていたそうです。


コンクリート製の堰の所から入る


女人天上入口


富士山遥拝所・女人天上(1810m)



細尾野林道から10分ほど登ると、3合目・三軒茶屋(1840m・9.59km地点)に到着します。別名・中食堂<ちゅうじきどう>と呼ばれる3合目は見晴茶屋蜂蜜屋の茶屋と三杜宮と呼ばれる小祠があり、休憩場所として賑わっていました。2012年にこの山小屋を含む吉田口の7軒の山小屋が撤去されました。


3合目・見晴茶屋跡


3合目・はちみつ屋(1840m)


3合目・三杜宮

3合目を出発するとすぐに沢があり、細尾野橋を渡っていきます。3合目〜4合目の区間は木の階段が多く、20分ほど登ると4合目・大黒小屋跡(1970m・10.25km地点)に着きます。

現在は茶屋も開運大黒天を祀っていた大黒天室も倒壊していて、残骸と破壊された石碑を残すのみです。


4合目へ向かう登山道


4合目・大黒茶屋跡(1970m)


4合目・大黒天室跡

15分ほど石畳や石階段のつづら折を登ると、4合5勺・御座石浅間神社(2040m・10.59km地点)に到着します。

ここの小屋は御座石小屋・井上小屋とも呼ばれて、小屋の左にある御座石と呼ばれる岩盤の上には、かつて御座石浅間神社が祀られていて、長谷川角行の修行の地であったと伝えられています。60年に一度の御縁年には女性もここまで登ってくることができました。


4合5勺・井上小屋(2040m)


4合5勺・御座石に刻まれる富士講碑


4合5勺から下界を望む



◆4合5勺・御座石浅間神社〜5合目・佐藤小屋(2220m)

この先は、かつて5合目銀座と呼ばれるほど多くの山小屋が建っていました。御座石を出発して110mほど進むと、5合目下・五合目館跡(2070m・10.70km地点)があります。

続いて200m歩くと5合目下・桂屋跡(2110m・10.90km地点)があります。更に150m進むと5合目・早川館(2140m・11.05km地点)の建物が残っています。

この先中宮三社と呼ばれる領域となり、この付近に中宮一ノ鳥居が建てられていたそうですが、現在はその痕跡も残っていません。


5合目下・五合目館跡(2070m)


5合目下・桂屋跡(2110m)


5合目・早川館(2140m)

ここからは一つ曲がるたびに小屋が立ち並ぶ山小屋群で、まずは天地界館跡(2150m・11.09km地点)の跡地があり、地図を見ると該当する場所に鳥居のマークがあるので、ここに稲荷を祀っていたのかもしれません。この天地界館は昭和30年に移転をして、現在の七合目トモエ館となっています。

続いては建物がいい状態で残っているたばこ屋(2155m・11.15km地点)と、太神宮(?)を祀っていると思われる社があります。


5合目・天地界館跡(2150m)


5合目・たばこ屋(2155m)


たばこ屋に隣に建っている社

その上には、潰れて残骸が残っている不動小屋跡(2165m・11.21km地点)と、その先に不動を祀っている雲切不動神社が現存しています。

70mほど直線的な道を進むと、左に曲がっていく所の広場に5合目救護所(2175m・11.28km地点)がありました。石の階段を登っていくと滝沢林道(2180m・11.30km地点)に出ます。


5合目・不動小屋跡(2165m)


不動小屋跡の先に建っている雲切不動神社


5合目救護所跡(2175m)

本来の道筋はそのまま横断して直登(青)していましたが、現在は通れないので左に曲がって滝沢林道を進みます。旧登山道と滝沢林道が交わる所に富士守稲荷が建っていましたが、現在は少し先の登山道入口の所に建てられています(2190m・11.41km地点)。


滝沢林道@(2180m)


富士守稲荷前の登山道入口


富士守稲荷(2190m)

再び滝沢林道(2210m・11.57km地点)に出て、ゲートの前を通って右上に登っていきます。ここも本来は左上に登って富士の家と呼ばれた小屋の前を通っていました。滝沢林道から登ってすぐの所に、ようやく営業している佐藤小屋(2220m・11.63km地点)に到着します。

この付近には下にあった富士守稲荷の他に、天地境浅間宮大日社の中宮三社の2つと小御岳神社に向かう小御岳道の鳥居があったそうですが、現在はまったく見受けられません。


滝沢林道Aゲート前(2210m)


富士の家跡


5合目・佐藤小屋(2220m)



◆5合目・佐藤小屋〜6合目・安全指導センター(2040m)

佐藤小屋から少し西に歩くと上に向かう石の階段があるので、登っていくとすぐに6合目・星観荘(2235m・11.75km地点)に着きます。

所々、木々の間から山頂に続く山小屋群を覗きながら進んでいくと、昔5合5勺だった6合目・経ヶ岳(2290m・12.02km地点)に到着します。ここには六角堂とも呼ばれる常唱堂と日蓮上人の立像が建っています。


6合目・星観荘(2235m)


6合目・経ヶ岳(2290m)


日蓮上人立像

日蓮上人が文永6年(1269年)に法華経を写経をして、この地に経巻を埋めたことから経ヶ岳と呼ばれるようになり、姥ヶ懐入口と書いてある道標の所から左下に下っていくと姥ヶ懐の覆屋があり、この中にある窟で100日間の修行を行われました。


姥ヶ懐入口


姥ヶ懐の覆屋


経ヶ岳の上にある廃墟

姥ヶ懐入口のすぐ先に倒壊した建物跡がありますが、何の建物か記載されてる資料はありませんでした。その先に経ヶ岳の上に位置する場所に石造物群が並んでいます。

夕方にこの場所に来ると、計算か偶然か分かりませんが日蓮上人像が真っ直ぐ落陽を見つめている事がわかります。


落陽を見つめる日蓮上人像

経ヶ岳から10分進んだ所にも正体不明な廃墟(2335m・12.30km地点)があり、更に5分ほど登ると周りに木がなくなってきます。

この辺りは不浄ヶ岳と呼ばれていて、山伏が登山者に不浄祓いをしていた場所のようです。左手に石垣の様な物があり、おそらく清浄ヶ岳館跡(2370m・12.41km地点)だと思われます。登山道から少し離れた所に何かの石碑がありました。

そしてもう少し進むと御中道と交わる6合目<旧5合5勺>・安全指導センター(2390m・12.49km地点)に到着します。かつてここは砂振<すなふるい>と呼ばれ、砂振小屋の隣には不動明王が祀られていました。


正体不明な廃墟


安全指導センター手前にある富士講碑


河口湖口ルート解説



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