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江戸時代、富士講が江戸八百八講と言われるほどに爆発的に普及して、多くの富士講者が車も無い時代に富士山を目指して歩いていきました。食行身録が富士講の登山道を吉田口と定めて以来、富士講信徒は甲州道中を通って大月から富士山道に入り、吉田口から登ってきました。
しかし200年経ち、現在の街道を辿ろうとすると、幾度の道筋の変更・区画整理などで昔の道筋、特に甲州道中が判りにくくなっています。書店とかで探しても、東海道や中仙道はそこそこあるのに甲州道中はまったく見つかりませんでした。そこで調査して実際歩いた結果を、これから歩く人たちの判断材料になればと思いました。
道中の中によく聞く名称などは、こちらの『古道を歩くキーワード』に説明ページがありますのでご覧ください。
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